「真実の口」106 我々は何をすべきか?④

先月、我が家の近くにサクランボが実をつけていた。

この木は毎年実をつけて、子供達は、家主さんに言って取らせてもらったりしている。

我が娘も、以前は取らしてもらっていた。

最近、町中を歩いているとビワやグミが実をつけだしている。

私は、仕事柄、色んな地方に出張に行く。

そして、何処に行っても、一日、10,000歩以上を歩くということを欠かさない。

この日課は、その街の名産は何か?

抗酸化が活かせないか?

どういう家作りなのかとか・・・

散策しながら、仕事に結びつけないかを思案するために、十数年前から初めて、やめられなくなってしまったものである。

そのため、色んな物を見ながら、あるいは写真に撮りながら歩くのが習慣になっている。

東京、大阪、名古屋の都会でも、町中を歩いていると、色んな果実がなっていることに気付く。

冬から春先にかけてはキンカン。

春から初夏にかけてはサクランボ。

そして、上にも書いたが、今の時期であればビワやグミ。

夏には桃。

秋には柿や栗。

冬には柑橘類。

これらを農地ではなく、民家の庭先で見かけるのである。

これらの果実に肥料や農薬を使用しているとは思えない。

だが、無肥料・無農薬で虫や病気の害に悩まされることなく、実をつけているのである。

何故、身近にこんなに良い手本があるのに、農地には肥料を撒いて、農薬を投与するのだろう?

我々は、勝手に農地にして、肥料や農薬を放り込んで、作物を作り、自然をコントロールしていると錯覚している。

6月5日の毎日新聞に、「害獣駆除中に2人死亡 仲間を誤射し自殺か」という記事を見つけて、凄く違和感を覚えた。

亡くなったお二人にはお悔やみを申し上げるが、害獣とは何なのだろう?

鹿や猿や猪が畑を荒らし、農作物の被害を受ける。

狸やイタチによって、家畜や養殖魚などが被害を受ける。

モグラなどが芝生に穴を開ける。

鳥や猫が糞尿をする。

そんな言葉を耳にする。

確かに、被害を受けているのかもしれないが、その環境は、元々人間のものだったのだろうか?

創造と破壊は同じである。

人間が何かを創造することにより、何かが破壊される。

未曾有の地震、台風、水害、干害のニュースがテレビや新聞で取り上げられる。

その度、我々は身勝手な創造をやめて、自然と対話するべき時に来ているのではないだろうかと思う。

少し農業から脱線してしまったので、今日はこれまでにしとこう・・・。