「真実の口」264 オール電化で良いんかい?⑬

今日は、CS先進国のアメリカ・カナダにおいての、化学物質過敏症の変遷を書いてみたい。

1951年、アメリカのアレルギー学者のセロン・G.・ ランドルフ博士によって、”化学物質への暴露によって発生する過敏反応の可能性”について、提唱されたものの、80年代までは、具体的な動きはなかったようである。

しかし、その間にも、原因不明(?)の身体・精神的な不調を訴える人は着実に増え続けていた。

84年、カリフォルニア州議会がMCS研究を求める法案を可決するが、州の医師会が反対、知事も拒否権を発動している。

85年、カナダ・オンタリオ州保健局の特別委員会が、環境過敏症に関する報告書をまとめた。報告書はMCS研究と被害者の援助が必要であるとしている。

86年、米アレルギー免疫学会が、後のMCS症候群と言われる症状と化学物質や食べ物との因果関係は証明されていないとの声明を発表。

87年、イェール大学のマーク・カレン教授によって「MCS(Multiple Chemical Sensitivity:多種化学物質過敏状態)」という概念が提唱され、この時初めて症候群という言葉が使用された。

マーク・カレン教授は、「MCSとは、慢性または大量の化学物質に曝露された後、極めて微量の化学物質に過敏反応、多岐にわたる症状を示す疾患である。」とした。

89年、米医師会がMCSと化学物質や食品との関係は証明されないとの声明を発表。

90年1月、米公衆衛生学会の特別委員会が、政府はMCS研究に予算を投ずべきであり、環境に原因がないと解明されるまで、MCSを心因性のものだと決めつけるべきではないとする声明を発表。

同年5月、カナダ保健福祉省が研究のプライオリティと被害者救済法を検討する研究会を招集。

同年11月、被害者グループが、症状は精神的なものだとするアレルギー免疫学会に抗議して、サンフランシスコで開催された学会を妨害するという事件が起きている。

91年、米職業医学会が、MCS症候群は現在仮説としてとどまっているが、解明のための研究には力を入れるべきであるとの声明を発表。

92年、米労働環境診療所を代表するAOECが、病気の定義、病気を引き起こす環境の記述、治療戦略、病因(病気の機序)のような臨床指向の目標を設定。

同年、米医学協会は、MCSは臨床上の症候群として認められるべきではないと公表。

94年、低用量化学物質曝露及び神経生物学的過敏性に関する全国会議が開催。

同年、カリフォルニア保健省による公衆調査。

95年、アメリカ医学協会、アメリカ肺協会、アメリカEPA、消費者団体は、「MCSの疑いは、医学の歴史の徹底的な評価を求めている。その症例は精神医学的疾病として片付けられてはならない。心因性問題の存在の可能性が検討されるべきであり、例えば、アレルギー学者や肺専門家などの専門家による診察の必要性が検討されるべきである。」と発表。

96年、国立環境健康科学研究所にて、臨床医とMCS関連分野の理論環境研究の専門家の両方が参加し、5つのテーマで実験的MCS研究に関する会議を開催。

97年、米アレルギー、喘息、免疫学協会は、MCSに関して、発表されている多くの理論の中で証明されたものはひとつもないと公表。

・・・と、アメリカでは、研究のための膨大な資源と多くの時間が、国家の取組みに投入されてきた。

その成果か・・・

98年、ブレーデントン、コネチカット、ミズーリー、ニューメキシコ、ノースキャロライナ、バーモント、ワシントンの7つの州で、多種化学物質過敏症を認知させるための特別月間、特別週間を設けるというMCS Awareness Proclamation(多種化学物質過敏症啓発声明)が発表された。

この7つの州の声明を皮切りに、昨年には、全米50州のうちの32州が同様の声明を発表している。

そして、2011年5月、ワシントン州クリスティン・グレゴア知事が署名した“ワシントン州における多種化学物質過敏症啓発月間とする声明”には、かなりつっこんだ内容まで書かれている。

『多種化学物質過敏症によって障害を受けた人々が、家計、雇用、住居、健康、社交面で影響を受けるとし、多種化学物質過敏症についての適切な対応と社会での認知度を高めることが、障害者が自らの専門技術やアイディア、創造力、技能や知識を、職場や学校、公共施設、その他の場所で発揮し続ける機会を確保することにつながるとし、多種化学物質過敏症発症者たちが、自らの病態を受け入れ、新しいライフスタイルに順応するには、家族や友人、同僚や社会の理解と協力が不可欠であり、全ての市民に対し、今回知事が声明をくだした特別月間に参加するよう呼びかけている。』

現在、アメリカの推定患者数は、人口の約16%とさえ言われている。

科学的な証明が云々と言っている場合ではないのである。

果たして日本は・・・。