「真実の口」278 東北再訪・・・東日本大震災から6ヶ月(中編)

前回、3月に来たときには、福島原発の関係で、作業の邪魔になることを考慮して、福島には行くことが出来なかった。

そのため、今回は、まず福島へ車を向かわせた。

目的地は被害の大きかった相馬市、南相馬市である。

試しにナビで検索してみたのだが、仙台空港から福島第一原発まで93km程度しか離れていない。

ナビでは、一般道路で1時間半程度の距離になっている。

国道6号線を南下していく。

新地町あたりから、津波の爪痕が・・・

相馬市内に入り、相馬港あたりから国道を外れ、海岸線を走る。

瓦礫、船、破壊された家屋・・・

更に、車を走らせる。

道路が拓け、野中の一本道を走っているかのような錯覚に陥るが・・・

よく見ると、かつて、ここには田畑が広がり、民家が存在していたことが理解できる。

打ち上げられて、そのまま放置されている漁船も散見する。

かつての田畑の先に海岸と防波堤らしき物が見えるので、車をぎりぎりまで走らせる。

延々と続く防波堤は、無惨にも全てが破壊し尽くされていた。

その日、台風12号が通過したばかりで、低気圧の影響を受け、波は大荒れだった。

打ち寄せる波が、防波堤でしぶきを上げるのだが、これの数十倍の威力の波が襲ってきたかと思うと、その恐怖は如何ばかりかと想像する。

南下を続け、南相馬市まで車を走らせる。

福島第一原発まで20km。

「災害基本対策法により立ち入り禁止」

今自分がいる場所と数メートル先の何が違うのだろう?

鉢呂前経済産業大臣は、「死の街」と表現し、辞任することになった・・・

このことに関しては、後編で触れたいので、あえて深く語らないことにする。

時間も遅くなってきたので、宿泊先の仙台のホテルへ引き返すことにした。

南下するときは国道を走ってきたのだが、帰りは、湾岸線を走る。

相馬市から先も、湾岸線を走る。

被害状況を見ながら、福島と宮城・岩手の風景との違いを感じる。

宮城・岩手では、木造の日本家屋は、基礎から根こそぎ津波にさらわれていたのが・・・

福島では、木造家屋の一階部分だけが、破壊され2階部分が残っている家が多い。

津波の高さの違いによるものなのだろう・・・

福島と岩手・宮城の海岸線の違いも影響したのではないだろうか?

福島県の相馬市、南相馬市は、比較的緩やかな海岸線に沿って立地している。

岩手・宮城の被害が大きいところは、入り組んだ地形の内陸部である。

そのため、寄せた津波が狭い湾に押し寄せるにつれ、高さが増幅して、被害を拡大させていった。

家屋の被害を見てそう感じた。

宮城・岩手でも、1階部分が鉄筋コンクリートの柱のみで、1階部分が駐車場等になって、波が抜けられるような“ピロティ式住宅”は、津波に耐えて、建物が残っている。

福島の今後の建築には役に立つのかも知れない。

しかし、現状、そんなことが解ったからと言って、被災者にとって、何が変わるわけでもない。

宮城・岩手のように根こそぎ浚われても、そこに、再度、家屋を建てるということを考えても・・・

福島のように、家屋の形は残るが1階部は骨組みを露呈している状況でも、その家屋を修繕しようと考えても・・・

ひとたび体験した津波への恐怖・・・

金銭的負担・・・

失った物、背負わなければいけない物は、計り知れない・・・

この国は、国民にどう対応してくれるのか・・・