「真実の口」343 訪韓記(2011年4月編)⑧

7日目・・・4月16日。

この日は、夕方まで予定がないと言うことで、私の以前からの願望で、38度線近くに行くことになった。

いわゆる非武装地帯 (DMZ)。

ソウルから、車で一時間程度のところにある臨津閣(イムジンカク)という観光地である。

軍事境界線から南に7km離れた所に位置するらしいが、臨津閣は板門店のように入場許可が必要でないため、国内外から、年間250万人の観光客が訪れるらしい。

http://www.go2korea.co.kr/Goods/TourSiteMap.aspx?TourSiteCode=56

金社長によると、ここは、朝鮮半島の統一を祈願するために、1972年から建設されたらしい。

北朝鮮の軍事、政治、社会などの生活全般が分かる資料館や、鎮魂の為のモニュメントがあり、外には朝鮮戦争(1950-1953)の際に使われた戦車や、飛行機なども展示されていた。

臨津閣① 臨津閣②

砲弾の痕が痛ましい・・・。

臨津閣③

ちなみにこのフェンスを少しでも乗り越えたら、韓国人だろうが、北朝鮮人であろうが、外国人であろうが、無条件に銃弾が飛んでくるらしい・・・。

臨津閣④

何気なく、周囲の写真を撮っていて気付いたのだが、よく見ると、“Don’t come close or take pictures(接近及び撮影禁止)”となっているではないか・・・ヽ((◎д◎ ))ゝ ひょえぇ~

臨津閣⑤

これは、望拝壇(マンペダン)。

毎年ソルナル(旧暦元日)とチュソク(旧暦盆)には、朝鮮戦争により引き裂かれ、北朝鮮へ残せざるを得なかった父母や祖父母に拝礼をする合同祭祀が行われるらしい。

軍事境界線の北側に故郷がある1,000万人の離散家族は、少しでも故郷に近いこの場所で、家族が共に暮らせる日を願うということである。

これは、平和の鐘。

臨津閣⑥

朝鮮戦争で使われた銃やヘルメットを溶かして造られたらしい・・・。

そして、望遠で写真を撮ってみたのだが、河の向かい側まで韓国で、この先に韓国統治下最北端の都羅山(トラサン)駅がある。

臨津閣⑦ 臨津閣⑧

丁度、その駅に向かう電車がきたので写真に納めてみた。

臨津閣⑨

そして、この先の山を一つ越えたところからが北朝鮮になるらしい。

更に、我々は、“自由の橋”の先端部まで移動してみた。

臨津閣⑩

“自由の橋”とは、臨津江(イムジンガン)に架かる橋で、1953年、朝鮮戦争休戦協定が結ばれた後、捕虜12,773人が橋を渡る際、完全に自由の身になった喜びから「自由万歳」と叫んだことにより“自由の橋”と呼ばれるようになったとのこと。

そして、これを見て欲しい・・・。

臨津閣⑪

突き当たりには、監視塔があり、その前の鉄柵には、国旗、ハングルや漢字で思いが込められた横断幕やリボンが無数に・・・。

ソウルから車で約一時間、距離にして37~38kmのところに、未だ、戦争状態の場所があるというのは、煌びやかなソウルにいては全く気がつかない。

深く考えさせるものがあった。

臨津閣を後にして、夕刻から、金社長の経営する環境回復サロンで、利用されている方を招いての座談会を行なった。

リウマチで服を脱ぐのでさえ、スタッフの力を借りなければいけなかったのが、今は、一人で出来るようになった人。

便秘が解消して、肌がきれいになった人。

シミが消えた人。

農業に抗酸化農法を取りいれてピーナッツや唐辛子を既に栽培している人。

色んな体験談を聞かせて戴くことが出来た。

座談会の後は、毎度のごとく、焼き肉で懇親会という運びとなり、韓国最後の日は色々と考えさせられる一日になった。