「真実の口」370 三度目の被災地入り④

前回の続き・・・。

山田町を後にした私は国道45号線を南下して、大槌町へと向かった。

途中の漁港の様子である。

漁港① 漁港②

大槌町に入り、9月の時点から時が動いていないかのような状況に失望する。

瓦礫の一時集積所には、堆(うずたか)く積もれたまま・・・。

大槌町① 大槌町②

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2012/4/9時点での震災瓦礫処理状況(環境省公表資料より)

瓦礫推計量:70万9千トン
※ うち建物解体に伴う瓦礫発生推計量:4万トン

解体を除いた瓦礫推計量に対する撤去率:100%
解体を含んだ瓦礫推計量に対する撤去率:98%
※ 撤去は仮置き場への搬入のこと。

処理・処分量:3千トン
処理・処分割合:0.5%
※ 破砕・選別等により有価売却、原燃料利用、焼却やセメント焼成、埋立処分等により処理・処分された量。

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地震直後と変わった点はと言えば、火災の焦げ臭い臭いと魚の腐った臭い、そして瓦礫の山が町中から無くなったくらいだろうか・・・?

地元の方らしき人がいたので、話しを聞いてみた。

震災前には、人口が15,000人を超えていたのが、現在では、13,000人程度ということらしい。

ちなみに、大槌町の震災によって被害に遭われた方の数は、死者数:803人、行方不明者数:475人である。

一向に復興の兆しさえ見ることの出来ない地元を後にする人が増えてきているという。

帰阪して、大槌町について調べていて、こんなPDFを発見した。

www.town.otsuchi.iwate.jp/_files/00005470/teireikai4k_231206.pdf

大槌町は、震災当時の町長である加藤宏暉町長を津波で失い、8月28日に町長選が行われ、元町総務課長の碇川(いかりがわ)豊氏が選出されている。

上の議会記録は、昨年11月に開催された議会の議事録である。

62ページに渡る議事録だが、中を読んでいくと、大槌町の現状が生々しく語られており、言葉を無くしてしまう・・・。

興味がある人は、最後まで読んで欲しい。

大槌町を後にして、更に、45号線を南下し、釜石市へ向かった。

前回、9月に東北入りした際には、食堂等で食べることが期待できなかったので、コンビニでおにぎりとお茶を仕込んで、南下していったのだが、今回は若干の期待を込めて、敢えて、何も買わずにいた。

釜石に着いたのが、お昼過ぎ・・・。

市の中心部に車を走らせるのだが、それらしき飲食店は見あたらない・・・(´・ω・`)ショボーン

やっぱり、沿岸部から離れた所じゃないと、無理なのかなと諦めかけたところに、幟がハタめいているのが見えた・・・(・∀・)??

らーめん?多①

どうやらラーメン屋のようである。

ここで昼食を取ることにした。

謹多らーめん豚めしセット・・・1.100円を注文・・・(*^U^*)♪わくわくww

ラーメン?多②

店の前には、ミ○キーマウスとドラ○もんが・・・。

昨日の爆弾低気圧で、ドラ○もんは倒れてしまったらしい・・・(^-^;)

色々と話を聞いてみたら、大阪から復興支援に来たメンバーの中にラーメン職人さんがいて、釜石に移住し、しばらくラーメン屋をやろうということになったそうだ。

昨年、私が訪れた9月以降に営業を始めたらしい・・・。

最後に、「頑張ってくださいね」と声をかけたら、「店長が倒れない限り、“ココ”で頑張り続けます」という頼もしい返事が返ってきた。

もし、釜石に足を運ぶ機会があれば、是非、寄って欲しい!

HPもあるのでご紹介する。

ラーメン謹多(きんた)

http://www1.ocn.ne.jp/~sht12/index.html
http://twitter.com/#!/ramenkinta
https://www.facebook.com/ramenkinta

私なりに出来ることとして、帰阪後、抗酸化セラミックを送ってみた。

場所は、釜石市役所の前なのだが、廻りは相変わらず、こんな状況である。

釜石市

右奥手に見えるのが市役所で、ラーメン 謹多はこの画像のすぐ右側にある。

次回へ・・・。