「真実の口」376 三度目の被災地入り⑩

タニョ ワッソヨ(ただいま)~

無事、韓国から帰って参りました(^-^)ヽ

韓国で、気になったことがあったので、少しだけ脱線させていただく。

私が、日本を発つ数日前から、北朝鮮が、李明博政権を盛んに煽るニュースが連日流されていた。

李大統領に模した人形を、戦車で踏みつけたり、銃で乱射したり、あるいは、女性までもが刀剣もどきのもので斬りつけたり、終いには、犬に咬みちぎらせたり・・・(^-^;)

数万人の集会を開き、李大統領の悪口を大勢で連呼したり・・・( ̄▽ ̄;)アハハ…

釜山に着いて、すぐに、韓国ではどんな風に受け止めているのかを聞いてみた。

すると、韓国内では、そんなニュースは流れていないというのである・・・(@・Д・@)??

相変わらず、馬鹿げた国だな~という風に一笑に付されてしまった・・・。

ふと、考えたのだが、韓国内では、こと北朝鮮の件に関しては、報道規制あるいは言論統制が行われているのだろうか・・・?

・・・ということで、前回からの続き・・・。

南三陸町へ向かう途中で、こんなものを目にした。

感謝

大きさにして、縦5m×横20mくらいはあるのではないだろうか?

東北に入ると、色んな場所に、大なり小なり、感謝の言葉を書いた横断幕やポスターを目にすることが出来る。

家を流されたり、職を失ったり、家族を失ったり、あるいは思い出さえも喪失して・・・。

自身は我々の想像にさえつかない苦労、心配、焦燥、喪失感を抱えているだろうに、それでも、自身にしてもらった事への感謝を忘れないでいる。

私自身が、その立場になったときに、東北の人のような気持ちをもてるかどうか解らないが、見習いたいと思う。

小一時間程度、車を走らせると、南三陸町に着いた。

半年前となんら変わっていない・・・。

テレビでも何度も放送されてる防災庁舎もそのままである・・・。

震災直後の南三陸町防災庁舎 一年後の南三陸町防災庁舎

左が昨年地震直後に東北入りしたときの画像で、右がその一年後の画像である。

この防災庁舎も、今年の8月には解体されるらしい・・・。

公園には、瓦礫が堆く積もれたままである・・・。

南三陸町の瓦礫処理場

因みに、南三陸町の瓦礫処理の状況は・・・。

– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

2012/4/9時点の震災瓦礫処理状況(環境省公表資料より)

瓦礫推計量:56万トン
※ うち建物解体に伴う瓦礫発生推計量:26万トン

解体を除いた瓦礫推計量に対する撤去率:100%
解体を含んだ瓦礫推計量に対する撤去率:58%
※ 撤去は仮置き場への搬入のこと。

処理・処分量:1万トン
処理・処分割合:1.8%
※ 破砕・選別等により有価売却、原燃料利用、焼却やセメント焼成、埋立処分等により処理・処分された量。

– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

陽のあるうちに、石巻市へ着きたいので、南三陸町を後にした。

石巻市への一番の目的は、3月12日に寄稿したブログに書いた有限会社暁星工業とその廻りの瓦礫を自分の目で確かめることである。

その上で、毎日、粉塵に悩まされ続けている西社長に対策をお伝えしたいという想いがあったからである。

テレビでは、有限会社暁星工業の住所等を言っていなかったので、辿り着けるかどうか解らないが、ナビで”有限会社暁星工業”を検索して、石巻市へと向かった。

車を走らせて、着いたのは、日没間近の5時45分だった・・・。

ナビで案内された有限会社暁星工業は、津波でただの更地(さらち)になっていた・・・(´・ω・`)ショボーン

廻りには瓦礫もない・・・。

どうやら、ここは件の会社が以前にあった場所(?)か、全く別の会社があった場所(?)ということらしい・・・。

この時間から、探すには、時間が足りないので、今回は、諦めて被害のあった港周辺へと車を走らせつつ、石巻市から宿泊先の仙台市へと向かった・・・。

復興をめざして!がんばろう石巻

次回へ・・・。