「真実の口」406 我が友を偲ぶ

7月8日、夜半・・・。

韓国の代理店の株式会社BT&Gの金栄春氏が急逝した。

先週、会田氏と私は、近々、オープンする春川農協の環境回復サロンの工事の進行状況の確認も兼ねて、7/3(火)~7/7(土)にかけて訪韓していた。

今回の訪韓の詳細に関して、書く機会があれば、改めて報告するが・・・、多分、無理だと思う。

7月3日・火曜日、我々は、安東の白い象農園を訪れるために釜山空港から韓国入りした。

当日、金社長は、ソウルから釜山まで車で迎えにきて、その足で、安東入りした。

ソウルから釜山までが4時間半程度、釜山から安東の白い象農園までが2時間半程度、農園から市内に戻るまで1時間程度を全部一人で運転していた。

7月4日・水曜日、安東から春川まで3時間程度かけて車で移動。

7月5日・木曜日、春川からソウルに1時間程度かけて移動。

7月6日・金曜日、仁川にあるゴミ処理場に行くと言う事で、朝8時半から朝食をとる予定にしていた。

ロビーに下りると、通訳の金氏だけで、金社長の姿が見えなかった。

朝一番に環境回復サロンの予約が入っているのだが、スタッフの出勤時間ではないため、その準備をして、朝食へ合流すると言う事だった。

ホテルの近くの食堂に入り、金社長もすぐに来ると言う事なので、4人分をオーダーして、食事をしながら、金社長を待っていた。

9時になっても来ないので、通訳の金氏に電話してもらった。

電話はすぐ繋がったのだが、通訳の金氏が、倒れて病院に運ばれたと言うのである。

この時点で、会田氏と私は、お客さんが倒れたのだと思っていた。

取りあえず、我々は、サロンへ行って確認することにした。

サロンへ着くと、料理の先生である尹(ユン)先生が一人待っていた。

状況を聞くと、トイレの前で倒れていたという・・・。

サロンに入る前なのか、サロンに入った後だったのか聞くのだが、要領を得ない。

金社長もいないので、お客さんについて行ったのか聞くと、倒れたのは金社長で、心停止状態で呼吸もしていなかったというのである。

ようやく、状況を理解した会田氏と私は、慌てて運ばれた病院へと駆けつけた。

病院のスタッフに聞くのだが、家族でないと状況を教える事は出来ないし、面会できる状況ではないとあしらわれてしまった。

金社長の娘さんが来ていると言うことなのだが、誰も携帯の電話番号を知らないので状況を聞くために捜すことにした。

ようやく、娘さんに会うことが出来たのだが、厳しい状況だという。

入り口付近で娘さんと話している時、尹(ユン)先生が金社長を搬送した救急隊員を見つけたようである。

救急隊員の話では、救急措置で一命は取り留めたというので、取りあえず、胸をなで下ろした。

しばらくすると、金社長の奥様と弟さんも駆けつけてきた。

挨拶も程々に、家族は金社長の側にいた方が良いと思い、我々はサロンで待つことにした。

情報が断片的しか入ってこないため、ストレスがたまっていたし、タバコの量も増えていたし、そのための脳溢血ではないか(?)等々が想像されていた。

金社長に、時折、「サロンにちゃんと入ってるか?」と聞くと、「毎日30分程度は入っている。」という答えが返ってきていただのが、スタッフに尋ねると、実際は全く入っていなかったという・・・。

当日、夕刻から、抗酸化の関係者を集めて食事会を開くことになっていた。

こんな時にという想いもあったのだが、「皆、我々に会うことを楽しみにしていたのだから・・・」という春川農協の組合長の音頭で、近くの店で食事をすることにした。

当然、詳しい状況は、皆には伏せていた。

最初は10人程度だったのだが、時間の経過とともに、一人一人と数が増えていった。

皆が金社長の回復を祈り、時を過ごした。

翌日、我々は、朝8時半の飛行機で帰国することになっていたのだが、状況が変わったら連絡して欲しいと通訳の金氏に伝えていただのが、状況は変わらないということで、そのまま、帰国することにした。

そして、7月9日の朝、通訳の金氏より、金社長の訃報が入った。

私は、通訳の金氏に連絡を取りながら、飛行機の手配をして、韓国へ飛ぶ準備をした。

韓国では、3日間、葬儀が執り行われ、2日目に通夜、3日目に告別式をするという。

空港から葬儀会場へ着くと、金社長の前職のサムスン関係の人間と抗酸化に関係する人が大勢参列していた。

栄春とは、2008年春先に問い合わせがあり、五月にセミナーに参加して以来の付き合いだから、丸五年になる。

それ以降、疑問に思ったことを熱心にメールで問い合わせたり、訪韓の際には、私の話を一言一句聞き逃さないようにと、メモを取って、またそれを正確に、韓国の人に伝えようとしていた。

栄春とは、歳が同じと言うこともあり、次第に、ビジネスを越えた友情をお互い感じていた。

そして、韓国に抗酸化を根付かせるために、日夜、頑張り続けてきた。

全国を飛び回って説いた環境回復農法も、春川農協を軸に展開できる目安もできた。

環境回復サロンも、本店、一山(イルサン)、日迎(イルヨン)、春川(チュンチョン)と作り、病気で悩まれていた多くの人を救う土台を築いた。

種を撒いて、芽が出て、これから収穫というときに・・・。

栄春の死因は、転倒によって受けた衝撃からの脳内出血だった。

やはり、疲れすぎていたのだろうか?

私は、韓国抗酸化の礎を築いた栄春に最後の別れを告げ、その意志を絶やすことなく引き継ぐことを約束した。

我が友、金栄春、安らかに眠れ・・・。