「真実の口」533 患者よ、がんと闘うな・中編

前回の続き・・・。

前回は、各章とサブタイトルの案内をさせていただいたが、今回は少しだけ中身に触れてみたいと思う。

この著書では、著名人ががんに罹り、出版された闘病記を通して、本当にその治療法があっていたのかということを検証していっていることで、凄く判りやすく、タイトルの『患者よ、がんと闘うな』ということ理解できる。

第1章では、フリージャーナリストの千葉敦子さんの例が取り上げられている。

千葉さんは、生前、乳がんであることを公表し、受けている治療や日々の生活の様子などについて、死の直前まで現在進行形で発表し続け、『よく死ぬことは、よく生きることだ』、『ニューヨークでがんと生きる』の著書を出版し、多くの人に感銘を与えたことで知られている。

ニューヨークでがんと生きる よく死ぬことは、よく生きることだ

私もこれらの本は読んだことはないが、千葉さんとこのタイトルには記憶があった。

近藤氏は、千葉さんの著書を読んで、「がんの数度の再発に立ち向かい、抗がん剤の副作用に苦しみながら記事を書き続けた不屈の闘志や、情報を集めて自分で決めるという生き方に、爽やかな感動を覚えた」と、千葉さんを讃えてはいるが、残念ながら、「千葉さんには抗がん剤治療に対する誤解や錯覚があったのではないか?」と説いている。

もちろん、このことは千葉さんの所為でも何でもなく、がんに関する正確な情報が少ない日本では致し方なかったであろうとしている。

また、がんに関する正確な情報が少ない日本だからこそ、患者の立場で書かれた闘病記は一般の方々に真剣に、その影響も甚大なので、あえて、千葉さんの著書を取り上げ、闘病記の中にある誤解や錯覚の部分を指摘することこそ、専門家の役目であるという意味合いもあるようである。

千葉さんは、左乳房のがんに罹り、1981年1月、乳房の切除手術を受け、手術後10ヶ月目には乳房を再建する手術を受けている。

ところが、83年夏に、首の付け根のリンパ節に再発し、再発した部分に放射線を照射した。

この状況下にも関わらず、ニューヨークで働きたいという永年の夢をかなえるべく、83年末、単身ニューヨークへ引っ越したらしい。

しかし、84年夏に、胸骨の左腋にあるリンパ節にがんが再々発し、患部に放射線を照射した。

そして、84年秋から、抗がん剤治療が開始された。

内容は、アドリアマイシン、メトトレキサート、シクロファスファミド、副腎皮質ホルモンの4種類を組み合わせ、前二者を週一回静脈注射し、後二者を毎日経口投与するというものだった。

著書内では、『ニューヨークでがんと生きる』の中の副作用で苦しんだ千葉さんの言葉が、そのまま引用されている。

「ひどい寒気。腹痛、腰痛。のどの下のすぐ下まで食べたものが詰まっていて、ちょっと咳でもしようものなら全部戻してしまいそうな、たまらない不快感。四肢の無感覚。食欲喪失。歯茎からの出血。爪の色が紫に変わる。(中略)

その後、白血球の数が回復して4,5回目の治療を受けたが、治療当日の夜から翌々日の日曜日の午前中くらいまでは重病人になってしまう。数時間おきにりんごジュースをすするのがやっとで、部屋を薄暗くし、電話のベルを『無音』にし、ベッドにうずくまっているしかない。本を読んだり音楽を聴いたりする気力も失われてしまう。『病気が重くなっても最後までジャーナリストとして書き続けよう』などというかつての決心は韓単に崩れて去ってしまった。全く思考力が失われてしまうのだ。」

しかし、前年ながら、抗がん剤治療も空しく、86年秋に3度目の再発が生じる。

抗がん剤治療は無効だったということだろうか???

『ニューヨークでがんと生きる』の中で千葉さんは、「乳がんの場合、『予防的化学療法』の効果は、50歳以下の患者については34%、50歳以上の患者については23%というのが、国立がん研究所発表の数字だ。」と書いている。

上の千葉さんの記述を読むと、大方の人が、2~3割の人が治るのだろうと思われるのではないだろうか?

千葉さんも、また、同じくその治癒率に賭けたのではないだろうか?

ここで、著者は、千葉さんの“錯覚”を指摘している。

「34%や23%と言う数字は、恐らく5年生存率のことで、乳がんの場合、5年生存を果たしても、必ずしも治っている訳ではないからです。再発を抱えて5年生きて、その後に死亡する患者も多々います。ことに千葉さんのような形で胸に再発した場合には、ほとんどの人がいずれ死亡することになりますから、それらの数字を抗がん剤治療の根拠として引き合いに出す千葉さんには、何らかの錯覚があったと思われるのです。」

現在では、専門家間では、乳がんの沿革転移が抗がん剤で治らないことに関し、意見が一意してきているという。(この本の出版された当時)

例えば、抗がん剤治療の専門家である国立がんセンターの渡辺亨医長は、医学雑誌紙上で、95年に「転移性乳がんは治癒不可能な疾患である」と明言している。

この著書では、いい話に置いても、悪い話に置いても、実名がどんどんでてくるので読んでいて小気味が良い・・・。

少し長くなったので、次回へ。