「真実の口」1,075 避難指示解除・後篇

前回の続き・・・。

現在、飯舘村では、国の直轄で除染が進められている。

しかし、昨年10月に、現地に赴いた記者が測定すると、地上1mで、原発事故前の約30倍に値する1μSv/h近くあるところも少なくなかったという。

現に、私が昨年3月に飯舘村を訪れた際、普通に立ち入れる場所で、1.1μSv/hの線量が計測された。

私が訪れた時も、除染で出た土や枝などが入った“黒いフレコンバッグ”がずらりと並んでいたのだが・・・。

その数は、約230万個以上にのぼる・

これらの“黒いフレコンバッグ”が、中間貯蔵施設に運び出されるまでに30年は優にかかるとも言われている。

ある雑誌に掲載された村民の生の言葉を紹介する。

「すぐに戻る人はほとんどいねぇ。汚染物が入った黒い袋を見たら、戻りたくなるから。」(60代・男性)

「避難指示が解除されたら、90歳の母だけ村に戻るんだ。高齢者は、住み慣れた土地がいちばんいいからね。その孫にあたる息子は、放射能のことが心配だから戻らないって。私も戻りませんが避難先と村を行ったり来たりしないと。」(60代・女性)

「お金をかけても、その施設が子どものためになればいいが、放射能の不安がある場所に、子供を連れて戻れません。そういう考えの親が多いと施設もムダになってしまいます。」(40代・女性)

「村がいくら総額57億円をかけて立派な教育施設をつくっても、村に戻って子供を通わせようと言う人は、私のまわりではいません。私も、自分の子供は通わせません。」(40代・男性)

「57億円も使えるなら、飯舘村と比べて放射線量が低い川俣町の近くに学校を建てるなどしてほしかった。」(40代・男性)

「帰村したくないと言っている子供を戻すために57億円も使うなら、ひとりで村に戻ることを不安に感じている高齢者が安心して暮らせる集合住宅を建ててほしい。」(年齢不詳・男性)

村が昨年末に実施した保護者アンケートでは、村内で再開する学校に子供を通わせる意思を示したのはわずか64人、うち、「こども園」への入園年齢に該当するのは、たった5人、しかし、村が建設する予定の「こども園」の収容人数は139人、定員充足率はたったの3%となる。

原発事故前には、飯舘村には幼稚園が二つ、小学校が三つ、中学校が一つあった。

原発事故後は、福島市と川俣町の仮設校舎に分かれて授業を行っている。

村の発表によれば、こども園をはじめとした教育関連施設の維持経費は、年間2,500万円。

いずれ、村の財政を圧迫することになるのではと村民が不安・不満を持つのも頷ける。

前述の記者が、除染責任者の男性に「放射線量は下がりますか?」と尋ねたところ、「下がらないよ! 飯舘村には、(除染でここまで下げるという)目標の数値はないから」という心もとない答えが返ってきたというのだが・・・。

帰村ありきの菅野氏に、村は二分された状況の中の村長選挙。

当日の有権者は5,236人、投票率は70.84%。

選挙結果は・・・。

菅野典雄氏 2,123(当)
佐藤八郎氏 1,542

現職、菅野氏の6選となった・・・。

東日本大震災の被災地への復興支援として、現地に赴いたり、被災地の名産品を購入したり、贈答したりしてきた私だが・・・。

「避難指示解除準備区域」・「居住制限区域」にはふるさと納税をするくらいしか支援の手をさしのべることが出来無い。

飯舘村にもふるさと納税をしたが、菅野村長からの丁寧な手紙が届けられた。


(勿論、掲載許可をいただいていないので加工済み)

勿論、飯舘村自体、人が戻っていない状況なので、産業が成り立つわけが無く、地元の名産品などがないので、協力が得られた自治体や会社などから色んな名産品を返礼として送っている。

返礼品目当てのふるさと納税を辞めろとは言わないが、本来のふるさと納税の意味に立ち返って、本当に困っている自治体にふるさと納税しては如何だろうか?

当たり前の日常を送っている我々には、測り知ることの出来ない現実を送っているという人がいるということを少し認識して欲しいと思い、飯舘村を例に取り、今回の寄稿に到った。