「真実の口」823 東日本大震災慰霊の旅④

前回の続き・・・。

園児達の元気な開会宣言で始まったコンサートは、以下のように進められていった・・・。

“JMFハンドベルリンガーズ”によるハンドベル演奏。
♪花は咲く
♪上を向いて歩こう

“福島県立磐城桜が丘高等学校吹奏楽部”による合奏
♪愛を込めて花束を
♪ユーロビートディスニーメドレー

“会津若松市立一箕中学校合唱部”による合唱
♪どこかで春が
♪朧月夜(おぼろつきよ)
♪故郷(ふるさと)

“福島県立郡山東高等学校合唱部”による合唱
♪はるかはるか
♪群青(ぐんじょう)

“Seeds+マーチングバンド”によるマーチング
♪HOPE~大切なもの~

それぞれの演者のそれぞれの想い・・・。

選曲の全て、想いが届くようなものばかりで感動的なものだった・・・!

そして、いよいよゲストアーティスト“川嶋あい”さんの登場であえる!

川嶋あいさんは、確か福岡出身であり、東北に縁のある人ではない・・・。

出発前に、その疑問を解くべく、ネットで調べてみたのが、あの可愛らしい顔からは想像できない壮絶な人生を歩んでいるので、本編とは全く関係ないのだが、少し、川嶋あいさんに触れておきたい・・・m(_ _)m

川島あいさん

ナント、私の卒業した大学のある福岡県福岡市早良区の出身だった・・・(゜Д゜))マヂ!!!

1986年2月 、実父が行方不明という状態で生まれるが、実母が出産後体調を崩し乳児院にて育つ。

あいというのは本名で、母親が難病を患っていたため、育てられないと悟っていたようで、「せめて誰かに愛されるように」という願いを込めて愛と名付けたらしい・・・。

実母の体調は回復せず、2歳の時に死別。

その後、建設会社を経営していた川島家に養女として引き取られるまで児童養護施設にて育つ。

養父母となる川島夫妻は、裕福だったようで、福岡市内で150坪の豪邸で、お姫様のような暮らしを送っていたらしい・・・。

極度の人見知りであったため、その改善のためにと音楽教室に通い、その後は演歌歌手を志していた。

北島三郎、鳥羽一郎、山川豊など、演歌歌手の公演の前座を務めたこともあったらしい。

しかし、10歳の頃、父が他界し母が経営を任されることになりますが経営が傾き経営難に・・・。

この頃、自身が夫妻の子ではなく養女であることを知りショックを受け、しばらく、立ち直れなかったという・・・。

中学に入りあるコンクールでスカウトされ、『十六恋ごころ / あなたに片想い』で演歌歌手としてデビューを果たす。

しかし、CDはほとんど売れず、スナックやキャバレーで、手売りで売っていたという。

2001年4月、沖学園高等学校在学中に上京して堀越高等学校に入学するが、追い打ちをかけるように、16歳で養母を亡くしている。

2002年2月19日、路上ライブを東京・四谷で開始。

そして、徐々に名前が知られるようになり、現在に至るようなのだが・・・。

川嶋さんのブログにデビュー後の心境や活動が記録されているんどえ、興味があったら覗いて欲しい。
このような生い立ちのためなのか、彼女の社会貢献活動は凄い!

テレビで見たアフリカの貧困状況に胸を痛め、私財を投じ2005年にエチオピアに児童養護施設、さらに2006年に西アフリカのブルキナファソ、2008年にはカンボジアの学校建設を支援。

現在もチャリティー活動などを通し、発展途上国への学校建設に力を注いでおり、目標は100校建設することであるという。

また、東日本大震災が発生した2011年3月11日夜、大津波から高台の神社にからくも逃れた宮城県南三陸町戸倉小学校の6年生20人余が、卒業式で歌うはずだった「旅立ちの日に…」を歌い、お互いを励ましながら不安な一晩を過ごしたという新聞記事で、児童たちのことを知った川嶋は「何か力になりたい」と休みを利用して卒業生らが避難生活を送る避難所を訪れ、ともに「旅立ちの日に…」を歌い、卒業記念品を贈った。

さらに、8月21日、約5ヶ月延期になっていた戸倉小学校の卒業式に出席し、「旅立ちの日に…」を卒業生23人と共に自身のピアノの弾き語りで合唱した。

彼女の行動に関して、売名行為だの誹謗中傷もあるというらしいのだが、口ばかりで動かない人間より、はるかに人間らしさを感じるのは私だけだろうか・・・???

いつものことだが、脱線を反省しつつ、次回へ・・・。