「真実の口」970 平成28年熊本地震から3ヶ月③

前回の続き・・・。

〇〇〇

前回は伏せ字にしたので、いったい、何所に(?)と思った方もいらっしゃるかと思うが・・・、

そう、熊本と言えば阿蘇山である。

4月16日1時25分に起きたマグニチュード7.3の本震、それに連動するかのように同日8時30分、阿蘇山中岳第一火口が小規模噴火した・・・。

気象庁は一連の地震との関係に否定的な見解を示したが・・・。

それに反し、火山専門家は九万年ぶりの「破局噴火」という言葉を口にして、恐怖を煽った・・・。

我々も、その不気味さに言いようのない不安を感じずにはいられなかった・・・。

以下、阿蘇ジオパークからの引用

『阿蘇火山の中岳火口は、古くから「神霊池・霊池・阿蘇大明神の神池」など時代とともに様々な、いわゆる神格化した呼称で呼ばれてきた。

このように中岳火口を古くから池と呼んでいることは、火口内に水あるいは湯が溜まっている状態が長く続いていたことを物語る。

その池には神が宿っていると思われていたので、神にちなんだ名が与えられ、火口へ登山することを御池参りと云って、信仰の対象となっていた。

火山活動で火山灰が多量に噴出される活動では、黒煙を蛇か龍にたとえ、それが池(火口)より天に昇り立つととらえていた。

これは、自然に対する畏敬の念をいだいていたので、火口を信仰の対象とし、その結果、火山による災害を防ぐ役割をも担っていた。

すなわち、古い昔の時代では、阿蘇火山は神の宿る山なので火山活動が活発するなどの異変が生じると、天下の凶兆とみなされ、飢饉疫病が生じると信じられていた。

したがって、時の為政者は何らかの対策を打たねばならなかった。

このため、阿蘇火山の火山活動は阿蘇神社から太宰府に古くから言上されてきた。

言上された結果、阿蘇火山の神、すなわち健磐龍命に加増や栄進が与えられ、阿蘇神社の修理や新たな神社の建立などが行われた。

このような火山信仰の中心に位置するジオサイトが「阿蘇神社」である』

実は、私が向かったのは阿蘇神社である・・・。

熊本地震によって、楼門が倒壊し、柱は折れてつぶれ、屋根が大きく傾き、拝殿や神殿も損壊したという映像を見た方も多いと思う。

阿蘇神社① 阿蘇神社②

この神社と初日に訪れたある場所が本来は一対で作用しなければいけないはずなのだが・・・?

どうも、人間の欲に絡み取られて、きちんと作用していないようなので・・・。

そこで、私が一肌脱いで、元の形に戻そうという魂胆なのだ・・・。

阿蘇神社で検索しても、この塔に触れる人はいないのだが・・・( ̄ー ̄)ニヤリ

阿蘇神社③

そして、またまた、“アルモノ”を納める・・・。

私は、ここから、最終目的地となる由布市湯布院町へと向かった・・・。

湯布院に近づくと、熊本市内と同じようにブルーシートで屋根を補強した家がポツポツと見受けられるようになった。

テレビでは、湯布市も被害が大きいと言っていただのが、思ったほど被害を感じられない・・・?

倒壊家屋も全くと言っていいほど無い・・・??

ただ、湯布院町と言えば、平日でも観光客が道に溢れかえっているのだが、ほとんど言っていいほどいない・・・???

ああ、湯布院の被害は、物的被害よりも人的・経済的な被害が大きいのだと納得・・・。

もちろん、宿を取る時にも、宿の損傷や湯船の損傷等でほとんど空いている宿が無く、数少ない一軒をようやく予約したのだ・・・。

湯布院に着いたのは5時半過ぎだった・・・。

ナビで検索するのだが、宿が見あたらない・・・?

仕方がないので旅館に電話するのだが、どうやら、外国人のスタッフらしく、道案内が出来ないという・・・。

仕方がないのでナビでグルグルするのだが、全く、見つからない・・・??

車で通れないような所を案内するのだ・・・。

1時間ほど探して、たまたま歩いていた地元の人に、旅館の場所を尋ねると、JRの線路を挟んで反対方面だと言うではないか・・・。

くたびれ果てて、ようやく、目的の旅館にたどり着く・・・。

次回へ・・・・。