「真実の口」1,226 血液型と病気・・・㉑

前回の続き・・・。

かつては長寿県常連県であった沖縄県が、何故、長寿県から転落したのかを考察してみた。

食生活・・・。

飲酒・・・。

モータリゼ-ション・・・。

地域性・・・。

複合的であるのだろうが、やはり、食の欧米化が、ウェイトが大きいのではないだろうか?

かつて、琉球と呼ばれていた時代から、中国、東南アジア、朝鮮、そして日本と食生活の面でもそれらの国々からいろいろな影響を受けてきた。

特に中国からの影響は強く、現在の中国同様、豚肉中心の料理が発達してきた。

平均気温が高く、四季が比較的不明瞭な気候であるため、亜熱帯性の食材が多く見られる反面、冷涼な気候に適した食材は栽培、入手がしにくい土地柄でもあった。

ただ、亜熱帯に属する東南アジアのように、香辛料は多用せず、伝統的な味付けは塩、味噌、鰹節、昆布を使うという日本料理の範疇に収まるものが庶民には受け入れられていた。

時折、当Blogでも紹介するが、かれこれ 30 数年前の大学時代に、写真を嗜んでいた私は、毎年のように沖縄に写真を撮りに行っていた。

私の在籍していた大学の写真部は、夏季、1 ~ 1 ケ月半にわたり、沖縄本島各地や離島に、小学校、幼稚園、教会、集会所のような施設を借りて、散り散りに写真を撮って来て、週に一度、拠点と呼ばれる場所に集まり、フィルムの現像からベタ焼き(※注 1 )まで行い、写真の批評をし合い、そして、また、思い思いの場所へ写真を撮りに行くというまるで体育会のような写真部だった。

(※注 1 ) ネガを印画紙に密着させてプリントした物。

ベタ焼き

どんな写真を撮っていたかと言うと、こんな感じで、沖縄の人々の生活に密着して、色んな話を聞きながら、写真を撮るというドキュメンタリー的な写真を追っていたのである。

中村征夫さんの写真① 中村征夫さんの写真② 中村征夫さんの写真③

因みに、この写真は土門拳(※注 2 )賞を受賞したことのある中村征夫さんの写真である。

(※注 2 ) 戦前、戦後を通じて、最も精力的な活動を展開した日本の代表的な写真家。

食べるものも、お金があるうちは安いものを店で食べたりしていたのだが、最後の方になり、お金が無くなると、パンの耳やら缶詰やらという食事で凌いでいた。

その大学4年間の間に、多くの沖縄の人に触れあってきた。

庭先で、戦争当時の話を聞きながら、写真を撮っていると、必ずと言っていいほど、手作りのサータアンダギー(※注 3 )やらお菓子から始まり、地漬(ジージキ)(※注 4 )やらを勧められた。

(※注 3 ) 砂糖を使用した生地を用いる球状の揚げドーナツ。

サータアンダーギー

(※注 4 ) 冬大根やゴーヤー、白瓜などを黒砂糖で漬け込んだ風味のある漬物。

地漬

そして、初めてお邪魔した私に、食事まで勧めるのである。

出てくる料理は・・・。

ラフテー(※注 5 )、ソーキ(※注 6 )、テビチ(※注 7 )などの豚肉料理。

(※注 5 ) 皮付きの豚三枚肉または皮付きの豚モモ肉を泡盛や醤油で甘辛く味付けした料理。

ラフテー

(※注 6 ) 豚あばら肉を水からゆっくり長時間ゆで、煮汁を捨てて肉を洗い、再度新たに醤油、泡盛、黒糖、昆布、鰹だしなどを調合した煮汁で長時間煮込み、味を浸み込ませた料理。

ソーキ

(※注 7 ) 豚足を煮込んで柔らかくして、味付けした料理。

テビチ

ヤギ汁(何年も行くと、歓待されるようになり、〆たばかりのヤギの生肉を戴いたりもした。)。

チャンプルー(※注 8 )、シリシリ(※注 9 )、イリチー(※注 10 )

(※注 8 ) 沖縄方言で「混ぜこぜにしたもの」というような意味で、野菜や豆腐に限らず、さまざまな材料を一緒にして炒め合わせた料理の総称。代表的なものにゴーヤチャンプルー。

ゴーヤチャンプルー

(※注 9 ) スライサーで細くおろした人参やパパイヤを卵とスライサーで細くおろした人参と卵を炒めて調味料で味付けした料理。炒めて調味料で味付けした料理。代表的なものにニンジンシリシリ。

ニンジンシリシリ

(※注 10 ) 材料を油で炒め、少なめのダシと調味料を加え、汁けが少なく仕上がるように、煮る料理。代表的なものにクーブ(昆布)イリチー。

クーブイリチー

沖縄そば。

ソーキソバ

モズク。

当Blogでも書いたような気がしていたのだが、検索したが、見つからないので、書かせていただく。

沖縄のとある村の小学校を借りて、拠点(上記参考)で現像をしている時、近くの漁師さんからモズクを頂いた。

その頂いた量が半端じゃない。

校庭の手洗い場を想像して欲しい。

丁度、こんな感じである。

校庭の手洗い場

この大きさ位の手洗い場、一面、ナミナミと、モズクを頂いたのである。

もずく

頂いたのは良いが、冷蔵もない、その小学校を使うのは2日のみ。

部員 30 人余り、朝昼晩、モズク漬けの日々を送った・・・。

それ以来、私は、モズクが食べられなくなった・・・。

今でも、居酒屋等でモズクが出ると、あのモズク漬けの日々を思い出して、受け付けない。

ちょっと、脱線してしまったが、閑話休題。

沖縄のおばあから良く聞く言葉が、“クスイムン”とか“ヌチグスイ”と言う言葉である。

クスイムン・・・薬になるもの

ヌチグスイ・・・命の薬

非常に深い言葉である。

今の沖縄の若い人に、この言葉の意味を噛み締めてもらいたいものだ・・・。

私が沖縄で頂いていた料理の数々も、伝統的な沖縄料理の特徴である豚肉・海藻・野菜が、実にバランスよく出されていた。

食は、ヌチグスイなのだ・・・。

次回へ・・・。