「真実の口」237 エコライフ・フェア2011③

最近、頓(とみ)に思うのだが、“想像力の欠洛”した人間が増えてきているのではないだろうか?

自分の行動が誰かに迷惑をかける・・・?

自分の発言が誰かを傷つける・・・?

例えば・・・

公共の場にも関わらず、大声で話す“オバチャン”。

携帯電話禁止の場所で、我関せずで、携帯電話を使う“オジサン”。

電車やバスで音を漏らしながらヘッドホンで音楽を聴く“若者”。

必要以上に香水を付けて、悪臭を振りまく“女性”。

そんな事を言うかねえということを平気で失言する“政治家”。

多分、多かれ少なかれ、うなずけると思う。

時として、これらの迷惑は迷惑の範疇を超えることも吝(やぶさ)かではない。

先日も飛行機に乗っていたときに、着陸前に隣の席の人がi-Padを使用していた。

「着陸態勢に入っているから使えませんよ」と注意すると・・・

「“機内モード”にしているから大丈夫!」と自信満々に答える。

おいおい・・とか思いつつ、全ての電子機器はOFFにしなければいけないとい飛行機の案内を見せて、電源を切らせる。

多分、この人は、帰ってから取扱説明書(マニュアル)を見るのだろうなあ・・・

ただ、一歩間違えれば・・・!

現代は、マニュアル社会と言われて久しいが、これも想像力を欠落させるのに、一役買っているのかもしれない。

元来、マニュアルとは、様々な状況を想定して、それらの状況に対応する方法を示したものである。

しかし、マニュアル通りに対応することを覚えさせても意味がない。

何故、この状況の時には、このように対応するのかを、考えることができなれば、何ら役に立たないのである。

ファストフード店、コンビニ、スーパー、ファミレス、ガソリンスタンド、銀行、駅、etc・・・

どこに行ってもマニュアル化され、私が想定外のことを言うと、まるっきり対応ができずに歯がゆい思いをすることがままある。

今日は、何故、こんな角度から寄稿しているかというと、ちゃんとこれは伏線になっているのである。

さて、今回、このような手書きのメッセージを目につくところに書いてみた。

「めだかが数分で死ぬせんざいを使っていませんか?」

「あなたの家のせんざいはだいじょうぶ?」

このメッセージを見て、想像力のある人は質問してくる。

どのくらいの割合か想像つくだろうか?

残念ながら、数パーセントの域を出ない。

何組かの人たちを相手している間に、昼を越えて、そろそろ疲れてきたので、会田氏の好きなソフトクリームでも買ってくるかと売店に向かった。

すると、会田氏から電話がかかってきた。

「環境大臣が各テントを回って、そろそろウチの番らしいから、早く戻っておいで・・・」とのこと。

さて、この環境大臣は想像力があったのか?それとも?

次回へ乞うご期待・・・。