「真実の口」853 東日本大震災慰霊の旅24

前回の続き・・・。

帰りの飛行機の時間が迫ってきた私は、亘理町を後にして、空港へ向かう途中にある岩沼市へと車を走らせた。

岩沼市にある恵洪寺に、石巻市の禅昌寺と同じプロジェクトの光り墓が建立されている。

車を走らせること、30分弱。

恵洪寺に着いた。

恵洪寺

車を降りると、陽の光の中に燦然と輝く、岩沼平和観世音菩薩のお出迎えいただいた・・・。

岩沼平和観世音菩薩

更に、歩を進めると、ブルーに輝く光り墓があった・・・。

光り墓

“復興”と“鎮魂”の文字が刻まれていた・・・。

読経・・・。

恵洪寺を後にした私は、空港傍にある『千年希望の丘』を目指した。

『千年希望の丘』とは、「震災を経験した私たちが、“今できること”を形にして残したい、愛と希望の象徴として、復興のシンボルとして伝えたい。私たちの想い、祈り、様々な教訓をつなぎたい。そんな思いが込められ、千年先の子どもたちが笑顔で幸せに暮らせることを願って造営されている・・・。

東日本大震災の大津波がこの地区を襲った時に、岩沼海浜緑地内にあった高さ約10mの丘に3名の方が避難したという・・・。

そして、そのときの津波の高さは約8mに達したものの、丘の頂部は津波の浸水からまぬがれ、“いのちを守る丘”となったのだとか・・・。

駐車場から園内に入ると、中心に慰霊碑が建てられていた。

千年希望の丘 慰霊碑①

慰霊碑は、人が支え合う姿をイメージした形らしく、この地域を襲った八メートルの津波を忘れぬよう、台座を含め、ほぼ同じ高さになっているという・・・。

千年希望の丘 慰霊碑②

慰霊碑の両サイドに碑文と犠牲になられた155人の名前を刻んだ刻銘碑が建てられていた。

千年希望の丘 慰霊碑文 千年希望の丘 刻銘碑

この慰霊碑を中心にして、千年希望の丘三基が見渡せるようになっている。

千年希望の丘案内図

慰霊碑を抜け、千年希望の丘第一号に行ってみる。

千年希望の丘① 千年希望の丘②

千年希望の丘は、“大震災を伝える丘”として、その殆どが、震災廃棄物を再生利用して作られているということだったのだが・・・。

千年希望の丘③

この階段も被災した家屋の梁が使用されていた。

千年希望の丘④ 千年希望の丘⑤

丘の頂上には、完成記念碑が建てられていた。

千年希望の丘⑥

このモニュメントの周りに埋め込まれているガラス玉は、2011年3月11日に発生した地震と大津波により甚大な被害を受けた岩沼市沿岸の六集落の位置を表しているらしい・・・。

相野釜地区、藤曽根地区、二野倉地区、長谷釜地区、蒲崎地区、新浜地区

これらの集落は、伊達政宗の時代に掘削された貞山堀周辺に位置し、江戸時代に製塩場として塩がつくられたことが地名の由来となっているらしい・・・。

江戸時代から続いた歴史ある町も、津波によって跡形もなくなるのだから、筆舌に耐え難い・・・。

そして、写真左のガラス玉が6個寄せられた所が、6集落の集団移転地になっているらしい・・・

更に、ここまで拘るかと思ったのだが、この完成記念碑は、日時計にもなっているという・・・。

震災が発生した時間(3月11日 午後2時46分)になると、日時計の影が、茶色の四角い板に掛かる仕組みになっているというのだ・・・。

第1号丘をグルリと回り、第2号に行く・・・。

千年希望の丘⑦

この丘の標高は11m・・・。

時間がないので、第3号丘までは足を伸ばさなかったが、岩沼市は、沿岸10キロにわたって計15基を造成する計画だという・・・。

避難所にもなるのだろうが、この丘の上って、何人が登れるんだろう・・・???

疑問に思いつつも、飛行機の時間が迫ってきた私は、千年希望の丘を後にした。

第2弾の慰霊の旅は、1,014kmを走破・・・。

1,014kmの慰霊の旅vol.2

17:35、仙台空港を後にした・・・。

ANA738

3/23~26の慰霊の旅第二弾は終わり、後日、後編をお伝えする。