「真実の口」662 知命

3月17日・・・。

私事だが、今日で、いよいよ50歳である・・・( ̄へ ̄|||) ウーム

論語には・・・。

子曰く、「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)ふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」とある。

不惑という言葉は、一般的に良く使われるので、聞いたことはあると思うが、それぞれ、以下のようになる。

志学=十五歳

而立(じりつ)=三十歳

不惑=四十歳

知命=五十歳

耳順(じじゅん)=六十歳

従心(じゅうしん)=七十歳

この意味は・・・。

「孔子は言います。

私は、十五の時に学問で身を立てようと決心しました。

三十の時に、学問などの基礎がきちっとして、独り立ちができるようになりました。

四十の時に、狭い見方に捕らわれることなく、心の迷いがなくなりました。

五十の時に、天が自分自身に与えた使命を自覚しました。

六十の時に、何を聞いても素直に受け入れることができるようになりました。

七十の時に、自分がしたいと思う言動をしても、人の道を踏み外すことがなくなりました。」

・・・となる。

私自身に当てはめれば・・・。

志学・・・昔から、何かを学ぶのは好きだったから◎

而立・・・30歳の時に外資系保険会社へ転職し、個人事業主になったから〇

不惑・・・抗酸化に携わり出して、数年、自身の進む道に迷いは無かったなぁ、だから◎

知命・・・これは、株式会社会田総合研究所を設立した時から、持ち合わせているので◎

。* ゚ + 。・゚・。・ヽ(*´∀`)ノ

話しは変わるが、幸若舞の演目の一つ『敦盛』の中に、織田信長が好んで演じたと言われている一節がある。

舞台は源平合戦・・・。

『思へばこの世は常の住家にあらず

草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし

金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる

南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり

人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

これを菩薩の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ』

意味は・・・

『いつまでもこの家で暮らせるわけでなし

やがて埋められ草葉の陰の露ともなるだけに、水に浮かぶ月よりも怪しくも儚いばかり

晋代の金谷園で詩宴に興じようとも、その栄華のさ中にも、空しく時の風に消し飛ばされよう

四川の南楼での月下の眺望に旅愁を満喫しても、いつか叢雲に被われ辺りはただ暗闇ばかり

この世に在ってもせいぜい五十年どまり、後の天の片隅暮らしの長さから比べたら、ほんの一夢たらず

ひとたび生まれてきたとしても、必ず滅びるにきまったこの定め

これこそ悟りの智慧と有難く観じられなければ、ただ悔しくも落胆に暮れるばかりではないかと…』

私もこの節が好きで、特に、『人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり』という所は、時々、口に出すくらいである。

そして、私も五十歳になり、新しい五十年が始まった・・・!

さあ、どんな五十年になるのやら・・・( ̄ー ̄)ニヤリ