昨日で東日本大震災から丸一年が経った。
本来なら、どこかの追悼式に出席するつもりだったのだが、家内を含め、子供等がなかなか本調子にならなかったため、当日の東北行きを断念した。
ただ、エコットの携わる清掃業の青年部時代の仲間が、先週末、被災地入りするということで状況を聞くことが出来た。
「少し離れたら、何もなかったような街並みです・・・。」
「街中(仙台)は活気があり、復興しているのかなと思いましたが、石巻に来たら、小学校の三階まで津波が来た痕が残っていたり、車が山積みされていたり、津波の痕跡があちらこちらに残っていて、復興にはまだまだ時間がかかるのではないでしょうか・・・。」
私が9月に被災地入りしたときから何も変わっていないのだろうか?
昨日、フジテレビの“新・報道2001”に始まり、“FNN報道特別番組 東日本大震災から一年~希望の轍~”と震災の報道特集を見ていた。
その報道の中で、石巻の話が出ていた。
石巻は、被災地の中でも、も突出して瓦礫が多いらしい。
その量は616万トンで、石巻の通常のゴミの106年分に相当し、被災地全体の3割にあたるという。
瓦礫の一時集積所には、うずたかく積まれた瓦礫が映されていた。
段々畑のように四段に積まれた瓦礫の高さは20mにもなるという。
ビルで言えば、6~7階に相当する高さである。
日々運ばれる瓦礫は、これ以上高く積めないので、横に広げていくしかない。
それでも、まだ市内には半分以上の瓦礫が残っているという。
そして、瓦礫には、至る所からパイプが突き出ている。
これは、瓦礫から発生するメタンガスを抜くためらしい。
そして、その瓦礫の山に両側を挟まれて、会社を経営している方がインタビューに答えていた。
有限会社暁星工業の西邦博社長である。
毎日、運び込まれるトラックによる粉塵が撒き散らされ、社屋は粉塵にまみれ、社長自ら、粉塵を洗い流す日々が続いているという。
「喉のイガイガが取れない・・・」と社長は訴える。
そして、何より、私には、西社長の奥様である寿子さんの話には、胸を詰まらせた。
寿子さんは、「絆って言う言葉は、いらない」という。
「だって、災害にあったときだけでしょう 絆、絆って・・・、どこの県に言ってもシャットアウトでしょう?絆の言葉が安っぽくなっちゃう・・・。こんな安っぽい、言葉は使わないことにした・・・。悪いけど・・・」と・・・。
私は、言葉がなかった・・・。
被災三県の瓦礫の総量は2,253万トン。
そして、昨日までに、処理済みの瓦礫は、6.3%にしか至らないのである。
番組内で、細野環境大臣がアナウンサーからの質問に答えていた。
「年が明けてですね、被災地の本当に厳しい状況というのを、皆さん、知っていただくことができるようになってきました。その中で、安全性について、しっかりと計測をして、石巻の瓦礫というのは、全く問題がないレベルですので、それを直接、自治体であるとか、住民の皆さんに測っていただけるような状況になってきました。したがって、これから前に進めていかなければならないし、私は、進むというふうに思っています。」
瓦礫の問題は、地震直後から言われていたことである。
それを悠長に、「年が明けて・・・」と平気で言える神経が理解出来ない。
そして、野田首相は11日の記者会見で、東日本大震災で発生した瓦礫の広域処理を進めるため、災害廃棄物特別措置法に基づき、被災県を除く全都道府県に文書で受け入れを要請することを明らかにした。
何を今更、悠長なことをしているのだろうか?
東日本の復興無くして、日本の再生はない。
全国の知事を集めて、面と向かって協力を要請、いや、強制すればいいのである。
共同通信は、1月26日、インターネット上に質問項目を掲載したページを開設し、全国の都道府県と市区町村の計1,789自治体にメールでアドレスを送付し、回答を2月17日時点で集計した。
その結果、瓦礫処理関連は、1,422市区町村(82%)が回答した。
アンケートでは、回答した市町村の33%が、「現時点では困難」、53%が「まったく考えていない」と答え、全体の86%ががれきの受け入れに難色を示す結果となった。
回答理由として「処理できる施設がない」(53%)、「放射性物質への懸念」(41%)、「汚染を心配する住民の反発」(20%)が挙げられている。
石巻では、手作業で瓦礫を分別し、最終処理しやすいように日夜作業を続けている。
安っぽい“絆”は要らない・・・。