前回の続き・・・。
いわき市に着いた我々は、レンタカーを借りて、食料調達をした。
目的地の楢葉町には、開いている店が無いからである。
楢葉町は、昨年8月10日午前0時に、“警戒区域”から“避難指示解除準備区域”に移行している。
“避難指示解除準備区域”では、『住民が安全・安心に生活できる環境を整備するため、電気、ガス、上下水道、主要交通網、通信など、日常生活に必要なインフラや医療・介護・郵便などの生活関連サービスの復旧を迅速に実施し、住民の帰還を目指すこと』となっている。
住民は、寝泊まりは出来ないが、日中の出入りは自由となったということである。
昨年4月1日の田村市と川内村を皮切りに、南相馬市(昨年4月)、飯舘村(7月)、楢葉町(8月)、大熊町(12月)、葛尾村(今年3月)、富岡町(同)と、国との協議が整った自治体から、準備区域への移行が進んできている。
残る双葉、川俣の2町も4月中の再編を目指しているという・・・。
しかし、本当に安全なのか???
こんな記事を見つけたので、興味があれば読んで欲しい・・・。
「原発警戒区域のままがよかった」福島県楢葉町の地元が警戒線解除に反対する5つの理由
JRいわき駅から、国道6号線を使って、北上していった。
私自身、6号線を南下して、被災地入りしたことはあったが、北上するのは初めてである。
いわき市の被害状況は・・・。
http://www.city.iwaki.fukushima.jp/info/dbps_data/_material_/info/zhigai20130417.pdf
死者:441人(直接死:293人、関連死111人)、行方不明者:0人・・・
全壊:7,916戸、半壊:25,250戸・・・
残念ながら、国道沿いを車で走らせただけだから、被害の深刻さは実感出来なかった・・・。
しかし、今でも、津波被害の爪痕は残ったままだった・・・。
更に、北上し双葉郡へ入る。
広野町を通り、楢葉町へ着いたのだが、どこまで北上出来るか、取りあえず、行ってみようと言うことで、更に、車を走らせた。
福島第二原子力発電所を右手に見ながら、複雑な思いを胸に、北上を続けた。
そして、富岡町に入り、10分程車を走らせた町境から約7km地点に、検問が待ち構えていた。
我々は、警備の人間に、誘導されるがままに、車をUターンさせられた。
そして、検問から1kmほど、後戻りした所で、車を左折させて、放射線量を測ってみた。
計測器は、刻一刻と数値が変わるので、最高値を撮影することが出来なかったが、三線合計(左写真)で46.23μSv/h(=マイクロシーベルト)をマークし、γ線のみ(右写真)では、16.8μSv/hを計測することが出来た。
国は、年間被爆量の基準値を、昨年4月に5mSv/y(=ミリシーベルト)から1 mSv/yに引き下げた。
声:「まあ、この国の基準値の設定でさえ、いい加減なものなのだが・・・。」
これを、時間あたり被爆量に換算したら、0.23μSv/hとなる。
つまり、我々は基準値の200倍を超えたところにいたことになる・・・ヽ((◎д◎ ))ゝ ひょえぇ~
5mSv/yを基準にしたとしても、時間あたり被爆量に換算すると、0.99μSv/hだから、46倍という計算になる。
しかし、この場所は、国が、“避難指示解除準備区域”に指定した、日中であれば、誰でも立ち入ることができる場所なのである・・・Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン
この後、我々は、楢葉町に戻る傍ら、国道6号線から海岸線に逸れて、現状を目の当たりにして、愕然とした・・・。
次回へ・・・