「真実の口」1,007 不如意・・・五

前回の続き・・・。

前回、会田氏手製のセラミックの土台がさる物と一緒に宮中に「献上」されているという禁断の話題に触れたが・・・。

業者側から無料で差し上げる「献上」とは言え、誰でも彼でもむやみやたらに差し上げられるわけではない・・・。

そこはほれ・・・(’-‘*)ウフフ

厳正な審査を通って・・・(*^o^*)/

品質が保証されて・・・…..〆(・ω・)メモメモ

初めて、「献上」という行為が成り立つのである・・・ヾ(*´∀`)ノ

献上を行う業者は、警察(公安?)により、その経営者や社員の思想、保健所により商品の衛生状態にも厳しい調査が行われるという話もあるくらいなのだから、いやはや・・・。

会田氏と私の思想を知り得たら、即刻、返還になるかも知れないのでこれくらいに留め置こう・・・。

まあ、少し、身内自慢になってしまった感も否めないが・・・ε=┏(; ̄▽ ̄)┛

話を元に戻す・・・。

どちらかと言えば、『“菊の御紋”を与えるので持参しよ!』的な積極的な導入ではなく、消極的な理由な理由で採用されたような経緯がある『宮内庁御用達』だったのだが・・・。

残念ながら、その後も、『宮内庁御用達』の表記を濫用する業者は後を絶たなかった・・・。

『宮内庁御用達』制度が始まって11年後の1902年(明治35年)、時の警視総監により、「宮内省御用達」の濫用を厳しく禁止する告諭が出される。

当時の日本新聞には、「近来帝室御用、東宮御用、宮内省御用其の他皇室に関する文字を商品、商品の容器、封被、引札、看板等に濫用する者往々有之、右は従来禁制せられたる儀に附、心得違無之様篤く注意すべし」と報じている。

まあ、それだけ『宮内省御用達』というネームバリューは、商売人にとって、非常に重宝するものだったということなのだろう・・・。

更に、1935年(昭和10年)には、御用達制度が大幅に改正され、許可の基準がさらに厳しくなり、5年以上宮内省に納入を続けている業者であることが条件となり、様々な報告の義務が課され、『宮内省御用達』の称標の使用に、5年間の期限が設けられ、その上、許可証の発行に当たっては、称標を広告などに濫用しないよう厳重な注意が与えられたというのだから、どれだけの業者が、濫用していたかを想像するのは吝か(やぶさか)ではない。

しかし、ここまで徹底したにも関わらず、「御用達制度」も、戦後、1954年(昭和29年)には廃止される。

その理由は、「献上」という制度が、性善説に立つ我が国“日本”では、想像しがたい弊害を生んだのである。

無償で皇族に商品を“送りつけ”、勝手に『宮内庁御用達』を名乗る業者が見受けられるようなってきたのだ・・・。

実際には、宮内庁への「納入」や皇族への「献上」の実績がないにも関わらず、あたかも「納入」や「献上」や取引があるかのように装い、自社あるいは商品への“箔付け”をする行為が横行するようになってきたというのだから嘆かわしい・・・。

つまり、現在、『宮内庁御用達』という文言は、歴史的事実として表示するような場合を除きは使えなくなっているということだ。

『宮内庁御用達』を名乗れないのであれば、“『皇室御用達』と名乗ったら大丈夫じゃね?”的な、商売人の悪知恵から産まれたのが『皇室御用達」というワードなのではないだろうか・・・┐( -_-)┌ ヤレヤレ

結局、今(昭和・平成)も昔(明治)、何時の世でも、浅ましい輩は存在するわけで・・・。

本当に、天皇への配慮や敬いがあるのであれば、恐れ多くて、その存在を営利目的に使うことはできないのではないだろうか?

こういう風に書くと、私が天皇崇拝者と思われそうだが・・・。

私は、出自による影響で、皇室の存在意義に疑問を持ち続けていた一人である。

ただし、近年の自然災害に際しての、今上天皇を初めとされる皇族の方達の被災地への、慰問を報道で見るにつれ、慰問を受けた被災者の涙する姿や勇気づけられる姿を映像を通して感じるところにより、その疑問が払拭されてきたかな(?)というのが本音である。

もちろん、『宮内庁御用達』という制度が廃止された現在でも、宮内庁御用達を拝命を受けた業者等が、高い信頼と確かな技術を持っていることに変わりはないと信じている。

数百年という長い年月をかけて、代々その家業を受け継いでいる老舗がある日本ならではの制度だったのかもしれないが、多分、このような老舗は、自ら、『皇室御用達』などとは、畏れ多くて名乗らないのではないだろうか・・・?

あなたの廻りに、『宮内庁御用達』、『皇室御用達』などを名乗っている企業・商品は無だろうか・・・( ̄ー ̄)ニヤリ

『宮内庁御用達』、『皇室御用達』で随分、時間を割いてしまったが・・・。

次回、本題へ・・・。