サリドマイド・・・。
この事件が、戦後の薬害の原点になるのではないだろうか?
前回の寄稿で、日本は309人の被害者を出したことを書いた。
以下が、その生年と男女別の表である。
生年 |
男 |
女 |
計 |
1959 |
6 |
6 |
12 |
1960 |
16 |
9 |
25 |
1961 |
34 |
24 |
58 |
1962 |
88 |
74 |
162 |
1963 |
24 |
23 |
47 |
1964 |
2 |
2 |
4 |
1969 |
1 |
0 |
1 |
計 |
171 |
138 |
309 |
私は1964年生まれ、私の兄は1960年生まれ、二人とも、丁度、オンタイムである。
西ドイツで生まれたこの薬は、当初はてんかん患者の抗てんかん薬として開発されたが、効果が認められず、その代わりに催眠性が認められたため、睡眠薬として発売された。
副作用も少なく安全な薬と宣伝されたことから妊婦のつわりや不眠症の改善のために多用された。
この薬を妊娠初期の妊婦が飲むと催奇性があり、四肢の発育不全を引き起こし、手足が極端に未発達な状態で出産、発育する。
いわゆる・・・アザラシ肢症である。
しかし、知覚や意識、知能に影響はほとんど見られない。
つまり、自分が親や他の子供とは、形状が違うと言うことを認識できると言うことである。
当時、妊婦を恐怖のどん底に突き落とし、日本中を一大パニックに陥れた。
私も、物心が付いて、同年代の彼らの映像を見て、涙したのを覚えている。
では、この危険な薬品の当時の各国の対応を見てみよう。
西ドイツでは、1961年11月に催奇性が学会で報告され、製造元のグリュネンタール社は即座に回収に踏み切った。
諸外国も危険性を認知して警告と回収に徹した。
アメリカでは、元々、FDA(アメリカ食品医薬品局)が認可せず、治験段階の約10人の被害者に留まった。
しかし、日本では、約半年後の1962年5月まで、販売が続けられた。
表を見てもらえば解ると思うが、この約半年の間に被害児の半分が出生したと推定されている。
日本での製造・販売元の大日本製薬と厚生省(現:厚生労働省)は、半年も放置していたのである。
利益のため・・・?
事実を認めるのが怖いから・・・?
では、このサリドマイドという薬の何が原因だったのか?
製造過程で鏡像異性体が出来て、言うなれば右手(R体)と左手(S体)の似て異なるものを、等量ずつ混ぜて販売したことである。
世界中に様々な悲劇を生んだこの薬は、現在、アメリカ等でハンセン病治療薬として市販されている。
もちろん、右手(R体)と左手(S体)の完全分離をされたものではあるが・・・
以前にも書いたのだが、医薬品は食品とは違い、莫大な資金と優秀な人材を使い、長い年月をかけて開発する。
最終的に完成しても、認可がおりるまでに、動物実験、人体実験と更に時間がかかる。
それでもこのような悲劇が起こるのである。
健康食品はどうなのだろう?
即効性があると逆に薬品になってしまうので、即効性は必要がない。
愛用者は、時間をかけて・・・、ついでにタップリとお金もかけて・・・。
効果がなくても、効果効能は謳っていないのだから、問題ない!
逆に時間をかける分、身体に異常を来しても、それが原因とは判別しにくい?
全ての合成モノに関して、鏡像異性体が発生するわけではない。
しかし、明らかに自然にないモノを身体に取り入れるのである。
2世代先・・・、3世代先・・・、いや、数世代先に。
異常がでないとは誰も言い切れない。
あなたは、高いお金を払って何の効果もない、いや危険を大いに含んだ健康食品をまだ利用しますか?