2011年3月11日14時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM8.8の地震が発生した。
その頃私は、娘が自転車の盗難に遭い、自転車を購入するため、娘と自転車屋さんにいた。
最初は気付かなかったのだが・・・
店員さんと娘が、何だか揺れているみたいと言う声に、初めて地震だと気付いた。
そこから、大きな横揺れが、長いこと続いた。
外を見ると、信号も大きく揺れていた。
これは、どこかで大地震が起こったと思い、携帯のワンセグでテレビをつけた。
宮城県を中心に大きな地震が起こったとアナウンサーが伝えていた。
その時は、被害状況も出ていなかったので、被害が最小限で済めばいいなと考えた程度だった。
しかし、徐々に、広範な地域にわたって甚大な被害が明らかになり、時間を追うごとに、被害状況が刻々と悪化、拡大していることが解ってきた。
警察庁によると、死者は12日午後2時現在、東北と関東の12都県で計503人が確認され、行方不明者は740人に上っている。
ただ、家族や知人らの申告などをもとに集計しているだけで、今後、大幅に増える可能性が高いとみられている。
犠牲になられた方には、ただただご冥福を祈るしかできないし、行方不明の方の一刻も早い救出を願うしか術がない。
私は、いてもたってもいられず、昨日から今日にかけて、東北から関東の抗酸化関係の方の安否を確認させて頂いた。
朝早くから、電話を受けた人には申し訳ない・・・m(_ _)m
とりあえず、人的被害や家屋・社屋に甚大な被害を受けたところはないようである。
壁が剥がれたり、品物が落下して割れたりていどのことで済んだようだ。
中には、建築現場の足場の上にいて、危険を察し、屋上に避難して難を逃れた人もいた。
このような大災害があると、「自然の驚異・・・」とか、「自然の猛威・・・」などと表現する人間がいる。
残念ながら・・・全く違う。
自然は、人間に対して牙を剥いているわけでも何でもない。
全て、バランスを取ろうとしているだけである。
河川や海を埋め立て、地形を変え、本来あるべき川や潮の流れを変える。
建造物は、風の流れを変える。
陸地にここぞとばかりに、高層ビルを建て、そればかりか、海を埋め立ててまで、高層ビルを建てる。
それだけの比重を地球にかけて、歪(ひず)みが出ないわけがない。
『創造=破壊』
地震が起こるとこの言葉が身に染みる。
犠牲になられた方には、大変申し訳ない表現になるかも知れないが、因果応報としか考えられない。
更に、最近、富に気になることがある。
犠牲者が出たときの地震の発生場所である。
今回の東北地方太平洋沖地震では、宮城県女川町に女川原子力発電所の3基、福島県双葉町に福島第一原子力発電所6基、福島県富岡町に福島第二原子力発電所の4基、茨城県東海村に東海第二発電所の1基と全部で14基の原子力発電所がある。
2008年6月14日8時43分に起こった岩手・宮城内陸地震では、上記の宮城県女川町に女川原子力発電所の3基がある。
2007年月16日10時13分23秒に起こった新潟県中越沖地震では、新潟県柏崎市に柏崎刈羽原子力発電所の7基がある。
2007年3月25日9時41分58秒に起こった能登半島地震では、石川県志賀町に志賀原子力発電所の2基がある。
2005年3月20日10時53分40秒に起こった福岡県西方沖地震では、佐賀県玄海町に玄海原子力発電所4基がある。
2004年10月23日17時56分に起こった新潟県中越地震では、上記に書いたように柏崎刈羽原子力発電所の7基がある。
2003年9月26日4時50分07秒に起こった十勝沖地震では、少し離れるが北海道泊村に泊発電所の3基がある。
1995年1月17日午前5時46分に起こった兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では、関西の電力の供給源として、福井県美浜町に美浜発電所の3基、福井県おおい町に大飯発電所の4基、福井県高浜町に高浜発電所4基の合計11基の原子力発電所がある。
1994年12月28日21時19分21秒に起こった三陸はるか沖地震では、青森県東通村に東通原子力発電所の1基がある。
もしかしたら、我々は電気を使う豊かなくらしと引き替えに、著しく自然のバランスを崩しているのではないだろうか?
以下のHPを見て欲しい。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
このHPには賛否両論ある。
平井憲夫さんは、1級プラント配管技能士で原視力発電所で働き、1997年1月逝去している。
ここに書かれていることがどこまで本当なのか?はたまた嘘なのか?
わたしの知識では判断できない。
でも、我々は、そろそろ立ち止まって、原子力発電について考える時が来たのではないだろうか?