前回は、震災直後で仙台市内にホテルが取れなかったため、盛岡を拠点にして、初日に岩手県庁、二日目に宮城県庁を訪問する日程だった。
そのため、初日に宮古から大船渡までの被災地を訪ね、二日目に仙台から大船渡までの被災地を訪庁後に訪ねた。
海岸線の道路が寸断している場合は、内陸に迂回して、二日がかりほとんどの被災地に車を走らせた。
今回は、日程が一日しかないため、高速道路で盛岡まで行き、一般道で山越えをして宮古まで行き、そこから仙台方面へ南下する行程を選択した。
宮古に到着して、市内を一周してみる。
前回来たときには、スーパーの駐車場に車を停めたのだが、当然、スーパーは開いておらず、津波を被った車が数台放置されているだけだったが、スーパーも再開しており、駐車場も車が多く停められていた。
町中の瓦礫もあらかた撤去され、見た目だけだが、一応の生活が送れるようになっていることにホッと胸をなで下ろした。
そこから、国道45号線を、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市、気仙沼市、南三陸町、女川町、石巻市、東松島市、松島町、利府町、多賀城市、七ヶ浜町、仙台市、名取市と南下していった。
テレビ等の報道で、少しは復興しているものと期待していた。
しかし、その期待は見事に裏切られた。
町中の瓦礫は撤去され、一定の所に山積みにされている。
その分だけ、町中がだだっ広く感じ、荒涼感が漂っていた。
誰かが生活していたという感じがしないのである。
家屋の基礎が残っている箇所は、コンクリートが剥き出しになり、基礎さえも流された箇所は、雑草が生えてしまっている。
地盤沈下のため、一旦流れ込んだ海水が引かず、田畑が沼池と化しているところもある。
また、震災前は陸地であったろうに、海水が満ちている箇所も数多くある。
多分、初めて訪れた人は、元々、そこには何もない空き地であるかのように感じるかも知れない。
しかし、そこは人が生活していた家が建っていた場所、あるいは作物がなっていた田畑なのである。
前回、写真を撮った場所を同じように撮ってみて、並べて見ると、復興どころか復旧さえ道半ばということがよく分かる。
元々、報道カメラマン志望だった私だが、今回の地震では、写真を余り撮っていない。
被害の状況をブログやYouTube等にアップしている人も大勢いるが、私にとっては、そこで生きていた人たちのことを考えると、とてもではないが、シャッターを押すことは出来なかった。
それより、抗酸化で何か力になれないかということを考えるのに必死だった。
今回、写真をアップせずに文字だけで伝えているのは、写真を見て、その現場を見て来た気にならず、被災地を訪れ、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の鼻で臭いを嗅いで、自分で何かを感じ、自分は何が出来るのかを考えて欲しいという意図がある。
もちろん、時間とお金がかかることなので、簡単に奨められるものではないということは重々承知している。
ただ、心や精神に重きを置いていた日本の文化は、高度経済成長からバブル期を通して、物質偏重主義へと変遷してしまった。
しかし、自然の元では、何ら意味を成さないというとがわかった。
東北の人を助けたいという気持ちで色んな物資やお金が届けられた。
それに対して、被災地の人が、「助かってます」という言葉を口にしている光景をよくテレビで見る。
本当は、まだ足りないものや、「こうしたい・・・」、「ああしたい・・・」という願望は限りないくらいにあるはずなのに・・・
これから我々が進むべき道のヒントが東日本大震災によって与えられたのではないだろうか?
3月訪問時、被害の甚大さに呆気に取られ、犠牲者の声が聞こえてきそうで、涙が止まらず、運転中、ずっと携帯電話にダウンロードしていた経を流していた・・・。
家族、恋人、友達、・・・と一緒にいられるという、ただそれだけのことが、どれだけ大切なのか、その一瞬一瞬の時間を大切にしなくてはいけないということを考えながら・・・。
国道45号線を走っていると、「これより先 津波浸水想定区域」「ここまで 津波浸水想定区域」という標識がたびたび現れる。
つまり、この区間は、津波の影響を受けますということである。
3月に訪れたときには、残念ながら、これを超えたところでも甚大な被害を受けていたのを覚えている。
今回、この標識の支柱がほとんどが新しくなっていたのは、想定区域を変えたからなのだろうか・・・?
位置を正確に覚えてないので定かではないが・・・???
ただ、釈然としないのは、建造物を建てる際には、建築確認が必要になる。
建築確認とは、建築基準法に基づき、建築物などの建築計画が建築基準法令や建築基準関係規定に適合しているかどうかを着工前に審査する行政行為である。
建築確認の審査を取扱うのは、従来、地方自治体の建築主事だけであったが、平成11年5月1日の改正建築基準法の施行により指定確認検査機関に属する建築基準適合判定資格者が同等の権限を持ち審査を行うようになった。
では、津波浸水想定区域内に変造物の建築を許可した自治体の責任は皆無なのか・・・???
今更、そんなことを言っても、津波浸水想定区域を高台に移しても、失われた命や物が帰ってくる物ではない。
今回の訪問で思ったことは、現場では、必至に復興を信じて作業をしている人がいる。
被災地の人も、必至で現実と闘っている。
ただ、限界がある。
民主然り、自民党然り、他の野党然り、好い加減、愚かな政争はやめて、日本党として、一丸となって超法規的なことを考えなければ、東北の復興はあり得ない。
マスメディアも、「誰が何を言った・・・」、「誰が過去に○○してた・・・」等々、いつまでも幼稚な報道ばかりを繰り返さず、そろそろ成熟する時期に来ているのではないか?
今回は車を走らせながら、国の無策さに憤りと怒りで、涙さえも出なかった。
前編・中編・後編としてしまったが、抗酸化で何が出来るだろうかという総括を出来なかったので、次回、総括をしたいと思う。