2011年も、今日と明日で終わる。
色んな意味で激動の年だった。
日本人にとって忘れることが出来なくなった3月11日。
東日本大震災の発生に伴い、死者15,844人、行方不明者3,451人、併せて19,295人という戦後最悪の自然災害を被った。
それに伴う、福島第一原子力発電所の事故。
9月2日~3日は、台風12号による被害で、奈良・和歌山を中心に、死者73人、行方不明者19人という犠牲者を出した。
海外では・・・
2月22日、ニュージーランド史上最悪のカンタベリー地震が発生し、クライストチャーチ直下型で局地的に甚大な被害を受け、死者・行方不明者併せて240~350人、邦人留学生など28人も含んでいた。
邦人留学生の家族がニュージーランドに向かい、捜索は困難だろうと言われている矢先の東日本大震災だったのを覚えている。
同じく、2月、アメリカ中西部では、歴史的な豪雪を記録した。
アメリカの人口の約3分の1に当たる1億人が住むシカゴ、ワシントン、フィラデルフィア、ボストン一帯の大雪と吹雪で数万世帯が停電となり、ニュースでは「雪の津波」と評されていた。
また、アメリカでは4月、戦後最悪の竜巻災害が起こった。
328人にものぼる死者をだし、数千人が家を失い、およそ100万人が停電状態に置かれた。
7月以降、インドシナ半島の広域で洪水が多発し、カンボジアで200以上の死者が出た。
それに引き続き、タイでは、9月以降約4ヶ月近くにわたり、洪水が続き、700人近くが死亡、200万人以上が家屋浸水などの被害を受けた。
この洪水により、日系企業が入居する工業団地が水没し、約450社の工場が打撃を受け、この影響で部品の供給網が寸断され、周辺国や日本、北米の自動車工場までが生産停止を余儀なくされるなど、混乱は世界に広がった。
政治的には・・・
1月14日、北アフリカのチュニジアでは、昨年末から全土に広がったデモに屈してベンアリ政権が崩壊した。
その後、周辺諸国にも飛び火し、2月1日にはヨルダンのサミール・リファーイー内閣が総辞職、2月11日にはエジプトのムバラク政権が事実上崩壊し、リビアでも2月15日に端を発したデモにより、8月23日、42年というカダフィ大佐の長期独裁体制も崩壊した。
また、同様にイエメン、アルジェリア、サウジアラビア、モロッコで同様の改革が起きて、現政権が国民の様々な要求を飲む形になっている。
しかし、オマーン、バーレンでは、現政権下に弾圧されたり、スーダン、シブチなどは小規模のデモに留まるなど、民主化へ前進出来ない国もあるようである。
話は変わるが・・・
5月2日、アルカイーダの指導者:ウサーマ・ビン・ラディンが、アメリカ軍によって殺害されたというニュースが入った。
私が、何より驚いたのは、各国の人間の喜び方である。
ビン・ラディンのテロにより犠牲になった方の遺族であれば、百歩譲っていい。
しかし、一市民まで、狂喜乱舞するかのような喜び方には違和感を感じた。
人の死を喜べる人種とはいったいどういうものなのだろう???
また、その時の、アメリカ軍の作戦にも、随分と腑に落ちない点が残るが、それは歴史の闇に葬り去られるのだろう・・・
12月17日、北朝鮮の金正日総書記が死去。
悲しみに暮れる北朝鮮国民の映像。
それを見た世界の反応は・・・
「泣いていないのがばれると後で頭を撃たれる」
なんと悲しい世界ではないか・・・
経済的には・・・
2010年のギリシャ危機に端を発し、スペイン、オーストリア、ハンガリーとユーロ加盟国に次々と飛び火し、ユーロが急落し、世界的な経済不安を煽ることになった。
それを受け、円高が進み、貿易大国である日本は大打撃を受けることになった。
そんな中、現政府は消費背増税を声高に叫んでいる。
この国を救うのはいったい誰なのか???
最後になるが、2012年は、誰もが喜びを手に出来る年になることを切に願う。
抗酸化溶液がこの世に生まれてきたのはそのためである。