先週、昨年3月・9月に続いて、3度目の被災地入りをした。
今回の目的は、瓦礫の撤去やその他何かお手伝いが出来ないかというのが主目的だっただのが、HPに出ている各自治体のボランティア受け入れ体制を見ると、事前登録が必要になっている。
更に、私みたいに体力を使いたいと思っても、実際は、力のいらない作業に回される可能性もあるようだ。
また、朝一番から、作業に付かなければならないということは、その地に前泊しなければ行けない。
転々と移動しながらのボランティアは出来そうにもない・・・。
・・・ということで、今回は、ボランティアは断念して、復興の状況の確認と避難所生活の方に何か送れるものがないかということを主目的として行くことにした。
折しも、日本列島を爆弾低気圧が飲み込もうとしている日に東北入りした。
西日本発着の飛行機では、欠航になる便も相次いでいた。
私の乗った飛行機も、幾度となく乱気流の中に入り、機体を激しく揺らしていた。
仙台空港上空から眼下を見下ろすと、前回、来訪時と変わらず、防風林の杉が津波で横倒しになったままだった。
空港へ着いた私は、予約していたレンタカーショップへと足を運んだ。
レンタカーの手続きを終えると、スタッフが、「ガソリンスタンドの場所解りますか?」と尋ねてきた。
「前回、9月に来たけど、まだ、近くのスタンド開いていないの?」と私が尋ねると、「その頃と変わっていません」という答えが返ってきた。
「・・・。」
私は、とりあえず、車を走らせ県庁に赴いた。
前回、対応して頂いた担当者に、会田総研として、何か送れそうなものがないかを、伺うためである。
ここで、県庁とだけ書いているが、仙台空港に降りたからと言って、宮城県庁に行ったのかどうかは定かでない・・・。
翌日、岩手の湾岸線の県北部から、南下する段取りにしていたため、この日は、盛岡へ宿泊した。
夜半、窓を叩きつけるような音に目を覚まし、カーテンを開けて、外を見てみた。
窓ガラスの下部の方に、氷の固まりが・・・(@・д・@)??
どうやら、爆弾低気圧は西日本では雨で済んだが、北日本になるとミゾレになったらしい・・・Σ(・ω・ノ)ノ
まあ、明け方には収まっているだろうと、高をくくって、もう一度寝直すことにした。
朝、起きてみると、一向に収まっていなかった。
それどころか、ミゾレはすっかり雪に変わっていた・・・(lll-ω-)ズーン
九州育ちの私は雪道を運転したことがない・・・<(`⌒´)>
いやいや・・・一度だけあった。
2006年、岐阜市内に38年ぶりの豪雪をもたらした時・・・。
恐る恐る車を走らせたのを覚えている。
そういえば・・・。
2011年、福井市内に63年ぶりの豪雪をもたらした時・・・。
2010年、新潟市内に、26年ぶりの豪雪をもたらし時・・・。
2005年、札幌で抗酸化工法全国大会を開催した時・・・。
2005年、名古屋に、58年ぶりの豪雪をもたらした時・・・。
それだけではない、鹿児島に行った時でさえ雪が降り、交通パニックを引き起こした。
更に、奄美大島に行ったときには、山間部で雪を降らしてしまった・・・。
全て、私が、現地に行く相前後に、雪が・・・。
自分が、“雪男”と言うことをすっかり忘れていた・・・_| ̄|○
果たして、私は、ここから動くことが出来るのだろうか・・・?
次回へ・・・。