「真実の口」464 愛媛県久万高原町来訪・・・①

去る、11月13日愛媛県久万高原町に行ってきた。

本来、前日(11/12)に東京に入り、翌日(11/13)、松山空港へ向かうはずだった・・・。

いつもであれば、関東エリアで、抗酸化についての話を聞きたいという方達とのミーティングは、1時間半程度の時間を取り、2時間おきに5組程度を予定し、それを1日ないし2日かけて、行なっている。

ミーティングの場所は、路線図とにらめっこしなければ移動できない田舎物の私が動くより、効率が良く、数多くの方達に会うことが出来るため、先方に私の宿泊先までお越し頂いいている。

このミーティングのために、月に1~2度は、必ず上京している。

ただ、今回は、ミーティングの予定が1組しかなかったので、先方に無理を言って、11月13日の午前中に羽田空港でお会いするように変更していただいた。

当日(11/13)、朝早い便で、羽田空港に飛んで、一時間程度のミーティングを済ませ、昼一番の便で、松山空港へ向かう予定へ変更した。

大阪(伊丹)→東京(羽田)間が、1時間10分のフライト、東京(羽田)→松山間が1時間35分のフライトで、この程度であれば、腰への負担も少ないだろうと目論んだのである・・・。

9:00a.m. 大阪(伊丹)空港発・・・。

10:10a.m 東京(羽田)空港着・・・。

10:30a.m~11:30a.m. ミーティング・・・。

羽田空港でのミーティングと、松山行きの飛行機に乗り込む所までは順調だった。

12:00p.m. 東京(羽田)空港発・・・。

フライト中に、機長より、「松山空港上空で、発達した積乱雲が広がっている影響で 揺れが予想される」というアナウンスが入った。

しばらくすると、機体が異常に揺れて、機内サービスのドリンクが、溢れ出すほどにまで、揺れ始めた。

そして、しばらくして、再度、機長より、「松山空港上空の積乱雲が通り過ぎるまで、上空を旋回します。」というアナウンスが入った。

まあ、この程度であれば、稀にあることなので、さほど、心配はしていなかった・・・。

ただ、空港まで迎えに来て頂いている本多さんに、申し訳ないなあと思いながら、本に目を通していた。

上空を旋回すること、30分位だろうか・・・。

再度、機長から、「松山空港上空の積乱雲がおさまりそうもなく、機内の燃料を考慮して、一旦、広島空港へ着陸して、天候の回復を図ります。」というアナウンスが入った。

乗客から、一斉に、「え~っ!!」という声が上がっていた。

声:「参ったなあ・・・。松山に行けなかったら、広島泊か~???」

飛行機は、機体を傾けながら、広島空港へ向かっていった。

年間100回以上のフライトを十数年続けているが、初めての経験である・・・。

次の画像が、そのときの迷走図である。

迷走図

14:20p.m. 広島空港着・・・。

広島空港に着いてみると、以外にも、晴れていた。

CAのアナウンスでは、空港に着いたからと言って、自由に飛行機を降りられる訳ではなく、再フライトのために席にいなければいけないらしい・・・。

取りあえず、ドアが開いたら、携帯電話等の電子機器は使えると言うことである。

私も、早速、本多さんに連絡を取った。

私:「もしもし、本多さん、すいません・・・。」

本多さん(以下:本):「はい。迎えに行きます。」

事前の打ち合わせで、ゲートを出たら電話をして、本多さんが車を玄関前まで、回す段取りになっていたのである。

私:「いえいえ・・・。松山空港上空に、積乱雲があって、着陸できずに、一旦、広島空港に着陸して、天候回復を見ている状況です。」

本:「そうでしょうね~。雷が非道いですよ~。それでは、松山に来られない可能性もあるんですか?」

私:「いや、機長の話では、しばらくすれば回復するだろうから、燃料を給油して、回復したら、すぐに松山へ向かうようなことを言っています。」

本:「判りました。連絡を待ってます・・・。」

私:「すいません・・・。」

待つこと30分程度だろうか・・・。

機長より、「松山空港上空の天候も回復し、燃料補給の完了したので、まもなく、広島空港へ向けて出発します」というアナウンスが入った。

私は、本多さんに、「まもまく出発らしいんで、15分程度で松山に着くので、3時10分前後だと思います。」という電話を入れた。

14:50p.m. 広島空港発・・・。

15:15p.m.  松山空港着・・・。

ようやく、3時間半ほどの機内缶詰の旅は終了した。

次回へ・・・。