年が変わり、正月気分も束の間、あっという間に、2月になった。
歳を取ると、時の流れの速さをつくづくと感じてしまう・・・。
海外戦略も考えて、昨年の取締役会で、社名変更を決定し、元日に株式会社会田総合研究所から、ASK株式会社へと社名を変更した。
その影響ばかりではないと思うのだが、年が明けてから、海外からのビジネスが次から次へと、舞い込んでくる。
その為、なかなか、ゆっくりとした時間が取れていなかったのだが・・・。
先日、久々に、時間が取れたので、随分前に録画していたテレビ番組を見ることが出来た。
1月8日放送の、朝日放送系列“たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学 3時間スペシャル”である。
今回は、『身体に起きる身近な症状がとんでもないことを引き起こす』というテーマだった。
番組冒頭、以下のように、恐怖を煽るような感じで始まった。
例えば・・・。
乾燥しているから肌がかゆいんだと放っておいて、胃がんが発症・・・( ̄□ ̄;)!!
手先の痺れを寝違えたためだと放っておいて、脳梗塞を発症・・・Σ(゚Д゚;エーッ!
恐ろしい病のサインかもしれない、本当は怖い身近な症状・・・。
今回は、実際にその病にかかった芸能人の実体験を元に、番組が構成されていた。
実は、ここまでは余裕で番組を眺めていた。
しかし、最初に取り上げられえたテーマが、他人事で済まされないような内容で、すっかり、余裕もなくなってしまった・・・( ̄▽ ̄;)アハハ…
最初の症例は、タレントの渡辺徹さんの実体験の紹介だった。
渡辺徹さんと言えば、70年代から80年代にかけて、大人気だった刑事ドラマ『太陽にほえろ!』でラガー刑事としてデビューし、その後も、ドラマ・舞台・バラエティ番組と幅広く活躍を続けているマルチタレントである。
年齢も51歳と、私とさほど年も変わらない、同年代でもある。
現在の渡辺さんしか知らない人は、恰幅の良いイメージがしか無いかもしれないが、二十歳でデビューした当時は、180㎝・72㎏と爽やかさが売りのアイドル俳優だった。
番組内では、紹介されていなかったのだが、Wikipediaで、渡辺さんを調べてみると・・・。
子供の頃は、肥満児だったらしく、少年時代は「渡辺ふとる」と呼ばれていたらしい・・・。
また、『太陽にほえろ!』のオーディションに合格した時は83kg程だったのだが、オーディション合格から撮影開始まで、半年以上の期間があったため、その間にアクションや体作りの特訓でみるみる痩せ、デビュー直前には69kgまで、身体を絞っていたらしい・・・。
『太陽にほえろ!』の中でも、いつも元気に走っていた記憶がある。
当時、歌手としても大人気だった渡辺さんの周りには、常に女性ファンが殺到し、プレゼントや食べ物の差し入れが、尋常じゃない位あったらしい・・・。
そして、その差し入れを、元来、食いしん坊だったという渡辺さんは、余さず、平らげていたらしい・・・オイオイ・・ (;´д`)ノ
『太陽にほえろ!』は、“殉職”で番組を卒業することも、人気を博した理由の一つだったのだが、渡辺さんは、デビューして4年、殉職時には、90kgまでになり、デビュー当時の疾走シーンは、すっかり陰を潜めていた・・・( ̄▽ ̄;)アハハ…
陰では、『太陽にほえろ!』卒業の本当の理由は、「走れなくなったから・・・」とも囁かれていた・・・。
『太陽にほえろ!』降板後、太ってしまった影響で、役者としての顔よりも、タレントとしての活動を余儀なくされたようである。
撮影現場では、一食3個の弁当が当たり前・・・。
更に、マヨラーとしても有名な渡辺さんは、カツ丼にマヨネーズをたっぷりとかけて、食べるのは日常のこと・・・。
この当時、渡辺さんの摂取カロリーは、6,000kcalを越え、理想的な成人男性の摂取カロリーの3倍を摂取していたことになる・・・ヽ((◎д◎ ))ゝ ひょえぇ~
そして、26歳の時には、見事に130kgという力士にも負けない体重になってしまっていた・・・。
デビューから僅か6年で、60kgの増量を果たしたことになる・・・(゜。゜)/オーイダイジョウブ?
本人曰く、「全く何も思っていなかったですね。100kgまでは気をつけていたんですが、100kgをきってからは、もう開放状態で、どうでもいいやって感じでしたかね?」
しかし、その翌年、ドラマの共演を切欠に結婚した榊原郁恵さんの料理によるダイエットのお陰で、91年の30歳の時には110kgとウェイトダウンに成功したのである・・・。
しかし、病の魔の手をかわすには、“時既に遅し”・・・。
次回へ・・・。