「真実の口」526 5度目の被災地入り④

前回の続き・・・。

富岡町を後にした私たちは、とりあえず、買ってきた弁当をどこかで食べようということになった。

何度も楢葉町入りしている内藤さんの案内で、町が見下ろせる高台へと車を走らせた。

途中、東京電力福島第二原子力発電所の前を通過・・・。

東京電力第二原子力発電所① 東京電力第二原子力発電所②

複雑な思いが・・・。

着いた先は、天神岬スポーツ公園キャンプ場・・・。

桜の木があったり、芝が植えられてあったりと、通常であれば、休みの日には、親子連れやカップルで賑わいそうな場所だった。

しかし、現在は・・・。

原発事故現場で作業する人たちの宿泊施設となり・・・。

原発事故作業員宿舎

除染によって出た放射線廃棄物の集積場へとなり・・・。

除染された放射線廃棄物

人々が笑顔で遊んでいた日々は、遙か遠い昔、そして、いつ戻るのかさえ判らない状況だった。

高台から、町を見下ろすと、津波の被害を受けたであろう田畑が広がっていた。

楢葉町

その先には、東京電力広野火力発電所が雨の中、煙を吐いていた。

東京電力広野火力発電所

世界で唯一の被爆国である我が国が、原子力政策にもう少し慎重な姿勢を取り、火力、水力、風力、その他エネルギーで賄う努力をしていれば、現在のような状況は起こらなかったのに・・・。

かくいう私も、原発の恩恵を享受しながら、生活していたのだから、言えた義理ではない。

会田氏と私でセミナーや展示会の際に、原発の危うさを訴えてはいたが、今となっては後の祭りである・・・。

買ってきた弁当を無言のまま、口に運び、目的地である〇藤さんのご自宅へと車を向かわせた。

今回は、あえて、名字を伏せ字にさせて頂いたのだが、〇藤さんらのことを取材に来るマスメディアは後が絶えず、私が伏せ字にするまでもなく、結構、有名な方である。

その理由は、〇藤さんは、避難命令が出た直後から、楢葉町を離れずに生活しており、現在、楢葉町に残って生活しているのは、〇藤さんだけということ。

当初は、数家族残っていたらしいのだが、日を追う毎に、楢葉町を後にしていったということである。

声:「しかし、今回の同行者が内藤さんに斉藤さん、そしてお会いするのが〇藤さんと、まるで、藤原一族の集会のようだなあ・・・。」

〇藤さん宅に向かう途中、奇妙な光景を眼にした。

放射線廃棄物集積所

元は畑らしき土地の中で作業している人がいるのである。

よくよく見ると、先ほど見た除染によって出た放射線廃棄物をどんどんと積み上げているのである。

農地は持ち主が提供したのだろうか???

それとも、国の強制的な“お召し上げ”だろうか???

こういうところが、国道沿いに何ヶ所もあるのだ・・・。

伊藤さんのご自宅に着き、我々は、いわき市のスーパーで弁当と一緒に購入した大量のミネラルウォーターを玄関先に運び込んだ。

これは、内藤さんが、〇藤さん宅を訪れる際には、毎回、差し入れとして持ってきているらしい。

我々が行った2日ほど前に、水道がようやく開栓され、使えるようになったということだった。

それまでは、我々が検問で引き返させられた所にある消防署まで、水を汲みに行き、タンクに汲んできて、それを使用していたというのである。

その精神力に、改めて頭が下がる思いだった。

ご自宅のリビングに案内されると、〇藤さんご夫婦と男性、それに若い女性がいらっしゃった。

男性は〇藤さんの奥様のご兄弟で、〇原さんという方だった。

(〇原さんももちろんマスメディアでは取り上げられているのだが、敢えて、伏せ字にさせて頂くことにする。)

〇藤さんの名刺にも〇原さんにも、『放射線ものともせず』という印字がなされていた。

相当の覚悟であることをヒシヒシと感じた。

そして、女性は、たまたま取材に来ていた福島テレビ報道部の方だった。

この日、たまたま、取材が重なったと言うことらしい・・・。

次回へ・・・。