前回の続き・・・。
前回、日本の歴史と朝廷の立場を紐解き、皇室に物を送ることにステータスはあっただろうかという疑問で結んでみた。
しかし、そうでもないのである。
幕府は江戸、朝廷は京都に置かれてあった。
経済的に安定していた江戸時代では、宮中へ商品を納入する業者がいたのである。
「禁裏御用(きんりごよう)」と呼ばれ、身の回りの品から、食料品、あるいは建物の修理に至るまで様々な職種の人々が出入りしていたらしいのだ。
『禁裏御用の商人は、「御用」と書かれた提灯を下げ、御用札を掲げて、誇り高く御所に納めに行きました。禁裏御所の御用を務めるということは、その商人、職人にとってはこの上ない栄誉だったのです。』
・・・と、明治天皇の玄孫(やしゃご)である竹田恒泰氏が言っているので間違いないだろう。
やはり、ステータスはあったのか・・・?
歴史に戻る・・・。
倒幕の志士により、明治維新(1968年)を経て、近代国家としての明治政府の様々な形が整えていかれる。
そして、明治22年(1889年)に大日本帝国憲法が公布。
日本は、東アジアで初めて近代憲法を有する立憲君主国家となった。
大日本帝国憲法には、本文の前に「告文(こうぶん)」がある。
『皇朕レ謹ミ畏ミ
皇祖
皇宗ノ神靈ニ誥ケ白サク皇朕レ天壤無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ寶祚ヲ承繼シ舊圖ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ發達ニ隨ヒ宜ク
皇祖
皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ條章ヲ昭示シ内ハ以テ子孫ノ率由スル所ト爲シ外ハ以テ臣民翼贊ノ道ヲ廣メ永遠ニ遵行セシメ益々國家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶福ヲ増進スヘシ茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆
皇祖
皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス而シテ朕カ躬ニ逮テ時ト倶ニ擧行スルコトヲ得ルハ洵ニ
皇祖
皇宗及我カ
皇考ノ威靈ニ倚藉スルニ由ラサルハ無シ皇朕レ仰テ
皇祖
皇宗及
皇考ノ神祐ヲ祷リ併セテ朕カ現在及將來ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ
神靈此レヲ鑒ミタマヘ』
直訳すると・・・
『わたくし(明治天皇)は、皇祖皇宗(神武天皇および歴代天皇)の御神霊へ謹み畏まってお告げ申し上げます。
わたくしは、永遠なる広大な計画に従い、御神霊の皇位を継承し、伝統文化を保持し、決して失墜することの内容に致します。
(また、歴史を)かえりみて、世の中の進運(進歩・向上していく機運や傾向)、人倫の発達を皇祖皇宗の遺訓としてこれを明らかにいたします。
皇室典範と憲法を制定しその条章を明示し、皇室では子孫がこれにより従うところとし、臣民には天皇を補佐する道を広めて永遠に憲法に従わせるようにして、益々大事業(国家統治)の基礎を強固にして臣民の幸福を増進いたします。
そのためにここに皇室典範および憲法を制定するのであります。
深くかえりみるに、これはみな皇祖皇宗が子孫に遺し給われた統治の模範に従うことに他なりません。そうして、朕自身の番となって時に及んで(統治を)とり行うことができるようになったことは本当に皇祖皇宗および我が先帝(孝明天皇)の威光に頼ってきたおかげでないわけがありません。
わたくしは仰いで皇祖皇宗および先帝のお助けを祈願し、あわせて朕の現在および将来に臣民に率先してこの憲章を実行してこれを誤ることの無いようにすることをお誓いいたします。
願わくば神々よ、私を(この誓いに照らし合わせて)見守って下さい』
まあ、簡単に言えば・・・。
「天皇である自分は、日本を作った正当な神の子孫として日本民族を永久に統治、君臨する。それは、自分の祖先である神の命令であり、逆らうことは許されない。そして、その統治のために、日本民族を臣民として自分の下に置き、従わせる為にこの憲法を作る。」
今までの立場から180度転換である・・・w( ̄△ ̄;)wおおっ!
前述の竹田恒泰氏は、神の玄孫ということになるのだろうか・・・ε=┏(; ̄▽ ̄)┛
ただ、この立場になると、皇室のお墨付きを頂ければ、より一層のステータスになるのではないだろうか?
やはり、『宮内庁御用達』という制度が、憲法制定2年後の明治24年(1891年)に始まっている。
ただ、これは、制度制定前、宮内省に出入りする業者は、「宮内省御用達」を名乗ることを許されていたのだが、この名誉をあからさまな宣伝目的に利用する業者や、自称する業者が次第に増えてきたため、制度として正式に適用し、誰しもが名乗れないよう厳しい審査を設けるのが目的だったのである。
どちらかと言えば、『“菊の御紋”を与えるので持参しよ!』的な積極的な導入ではなく、消極的な理由のようだ・・・(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ
ところで、『宮内庁御用達』には種類が2つあるのをご存知だろうか・・・?
宮内庁が予算の中から業者からご購入されるものを「納入」、業者側から無料で進呈されるものを「献上」という・・・。
「献上」と言うと、やはり、ハハーと平伏しながら感が否めないのだが・・・ハハーッ○| ̄|_
実は、ある方が、さる物を献上するに辺り、その品が安定する物が見つからず、台座になるものを探していた所、沖縄のN先生のご縁で、たまたまN先生の所に置いてあった会田氏手製のセラミックの土台が目にとまり、さる物と一緒に「献上」されているのだが・・・(笑)
これを知る者は数名しかいない・・・(^-^)/
w(・0・☆)w あっ
ここでばらしてしまった・・・( ̄▽ ̄;)アチャー
次回へ・・・。