東日本大震災から6年が経過した・・・。
津波で生活基盤を奪われたわけでもなく、地震で家屋が倒壊したわけでもなく、一見すると地震前と変わりない風景なのに、家に6年も帰られない人たちがいる。
そう、東京電力福島第1原発事故の影響で避難指示地域に指定されている人たちだ。
政府は、東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示を、福島県浪江町・飯舘村・川俣町の3町村を31日午前0時に解除し、富岡町を4月1日に解除する。
今回の解除により、避難指示区域の面積は、地震直後の三割にまで縮小するというのだが・・・。
現実は、帰還住民は一割にも満たない見通しだという。
生活インフラや放射線量への不安が根強いのも勿論だが、六年という長い歳月の間に、避難先に生活基盤自体が移ったのも大きな要因のようだ。
当ブログでも、時折、紹介しているが原発事故後、11市町村に広がった避難指示は2014年4月から順次解除されている。
私は、その度に、足を運んで現状を確認しているのだが・・・。
解除されているという現実だけで、生活が戻った感は殆ど無いというのが印象である。
今回の解除は「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」に指定されていた4町村が対象となるのだが、人口的には、約32,000人と言われている。
もちろん、放射線量がより高い「帰還困難区域」は含まれていない。
毎日新聞の画像を引用させてもらうが・・・。
東京電力福島第1原発が立地する大熊・双葉両町は、全域が「帰還困難区域」のままで、依然避難が続く状態だ。
また、富岡町・浪江町・葛尾村・飯舘村・南相馬市の5市町村の一部も「帰還困難区域」は解除されないままだ。
対象人口は、約24,000人にのぼり、政府は5年後をめどに、これらの区域の一部を解除する方針を打ち出しているのだが・・・。
昨年6月度時点での解除を見てみると、帰還対象者は9市町村で、計52,370人になるという。
しかし、実際に帰還した人や帰還に向けて自宅宿泊に登録した人は、8.6%と一割を切っているのが現状だ。
政府は、放射線量が下がり、生活インフラが整ったとして、次々と解除を進めて、帰還を進めている。
しかし、現状は9市町村にあった病院・診療所は事故前の三割弱程度、商店等の事業所数も二割程度の整備・再開に留まっている。
今朝の新聞に、飯舘村のお礼と報告の広告が出ていた。
飯舘村は、昨年、10月16日投開票の村長選挙が行われた。
6選を目指す現職村長:菅野典雄氏(69)に、新人の元村議:佐藤八郎氏(64)が挑む一騎打ちの戦いとなった。
飯舘村では12年間、無投票当選を重ねている。
原発事故前は、“までいライフ”(手間ひまを惜しまない生活)を掲げ、村民参加型の村づくりを行ってきた菅野氏は、村民の信頼も厚く、対立候補が立たなかったからだ。
しかし、震災後の4年前の前回村長選では、菅野氏の復興政策に疑問を持つ佐藤氏が、立候補しようとしたのだが「反村長派」の村民をまとめきれず、無投票で菅野氏の5選を許した経緯がある。
今回の選挙の争点は、“命か金か”・・・。
菅野氏は、本日避難解除を迎えた避難指示解除後の「新たな村づくりによる復興の加速化」を訴えた。
対する佐藤氏は、「避難指示解除の白紙撤回、賠償打ち切り反対」を掲げた。
菅野氏は、原発事故後の5年間で、「復興」に邁進するあまり、昨年8月には、約8億5千万円も復興関連予算をつぎ込んで、村に公民館を新設した。
更に、2018年4月から、村内で0歳~15歳までの一環教育を開始するために、幼保一体型「認定こども園」を新設するというのだ。
それを含めたスポーツ公園など周辺教育施設の予算総額は、57億円。
費用は国に要求するという。
次回へ・・・。