「真実の口」1,095 平成28年熊本地震から1年・・・⑮

前回の続き・・・。

益城町追悼式が終わり、私は南阿蘇村へと車を走らせた。

南阿蘇村に向かい菊池町を通っていると、山が崩落している現場があった。

熊本県菊池郡山崩れ現場 熊本県菊池郡山崩れ現場2

被災地で車を走らせると、まだまだ、こんな光景が至るところで見かけられる。

主要道路が復旧したといっても、生活道路等はいたるところで通行規制がとられている。

すぐその先でも・・・。

熊本県菊池郡崩落現場

ふと気づいたのだが、今、平成29年だよな~?

終わってないのか・・・?

河川では・・・。

熊本県菊池郡河川復旧現場

橋梁の手前部分が崩落して、規制されている箇所も・・・。

熊本県菊池郡橋梁復旧現場

ここまで走らせて、あることに気づいた。

ナビ通りに来ていたのだが、どうも、ナビでは国道57号線を通るように指示していたようだ。

熊本県菊池郡復旧現場

国道57号線は、あの崩落した阿蘇大橋に続く道路である。

当然の如く、阿蘇大橋はもちろん、南阿蘇村立野~南阿蘇村下野間は、道路損壊のため通行止めの状態が続いたままなのだ。

迂回路

震災以降、現在に至るまで、熊本市内から南阿蘇村に抜けるには、熊本県道339号北外輪山大津線(通称:ミルクロード)を通らなければならない。

迂回路(広域図)

致し方ない・・・。

ミルクロードUターン指示

若干、道を引き返し、ミルクロードの入口へと向かう。

ミルクロード入口

震災前は、国道57号線を使えば、南阿蘇村まで30分程度で行けたのだが、迂回路を通ると1時間程度を要してしまう。

ただ、復興工事のための大型車も迂回するため、渋滞が発生すると、1時間半~2時間を要するときもある。

山道を超えていくため、故障車が多いのか、道のいたるところに、整備・点検を行いましょうという看板が立てられている。

また、震災前から、ミルクロードは、絶妙なワインディングロードになっているので走り屋たちの絶好なポイントになっている。

かくいう私も学生時代には、福岡から阿蘇まで走りに行っていた・・・(笑)

ミルクロード経由で、比較的住宅の多い菊池郡大津町高尾野を走っているとなかなか目を引く立て看板(?)がある・・・。

じいちゃん飛び出し注意

じいちゃん飛び出し注意

ばあちゃん飛び出し注意

ばあちゃん飛び出し注意

走り屋狩り注意

走り屋狩り注意

阿蘇ば飛ばすバカは・・・

阿蘇ば飛ばすバカは

サーキットに行け・・・

サーキットに行け

つかまえたらけたくっけんな

つかまえたらけたくっけんな

けたくっけんな→蹴るからな

震災後、この道路を通るのも10回を超えると思うのだが、今回は、おもったよりスムーズに車を走らせることができて、40分弱程度で南阿蘇村に着くことができた。

南阿蘇村に着いて、その変貌ぶりに驚かされた。

昨年までは、崩壊した家屋がそのままになっていたのだが、更地になっていた。

南阿蘇(2016年5月)南阿蘇(2016年4月)
(編集済み)

これは、ほぼ同じ場所から撮った写真である。

山の丘陵部分を見てもらえばわかると思う。

左の写真の奥は、ほとんど家屋が倒壊して、道路側に倒壊したり、隣家どおし支えあうように倒壊していた現場である。

益城町と違い、人が一人もいない静けさだけが異様に漂っている・・・。

車を走らせ、坂道を下っていくと、あの阿蘇大橋の袂に着く・・・。

廃業された喫茶店の駐車場にいつも車をとめさせてもらうのだが・・・。

前回訪問時との違いに唖然とした。

余震のためか、前震・本震で地盤が緩んでいたためか、中央からひしゃげるように建物が倒壊を始めていた。

南阿蘇(2016年10月)

南阿蘇(2017年4月) 南阿蘇 

更に、阿蘇大橋横のがけ崩れもさらに進んでいた。

南阿蘇(2016年10月)南阿蘇(2017年4月)

写真を見ていて、奇妙な一致に気付いた・・・。

左の写真が2016年10月14日の94枚目

右の写真が2017年4月14日~16日の94枚目

気味が悪いので、次回へ・・・。