前回の続き・・・。
大阪から離れて、 12 時間位経つと、痺れが消える・・・?
・・・という珍妙な回答に行きついた私だが、更に、驚愕な体験をする。
8/7 ~ 11 にかけて、西日本豪雨(気象庁による正式名称は『平成 30 年 7 月豪雨』)の被災地に足を運んだ。
西日本豪雨は・・・。
≪以下、Wikipedia 参考≫
6 月 29 日に発生した台風 7 号が、太平洋高気圧の外側を回り込むように 7 月 4日 にかけて東シナ海を北上し、対馬海峡付近で進路を北東に変えて日本海上に抜けた。
しかし、太平洋高気圧の影響で、梅雨前線が 7 月 2 日から 5 日頃にかけて、北海道に停滞し、北海道の広範囲で雨量が 7 月の月降水量の平年値を超えるなどし、北海道では堤防の決壊や内水氾濫に伴う床上・床下浸水、崖崩れ等の被害が出た。
その後、太平洋高気圧が南東に移動したことで、北海道付近にあった梅雨前線が南下し、九州地方では台風の影響による雨が 7 月 3 日頃から降り続き、特に、 7 月 5 日から、西日本から東日本に停滞した梅雨前線に向かって台風 7 号がもたらした暖かく湿った空気が流れ込むことで、梅雨前線が活発化し、東シナ海からの湿った南東風と、太平洋高気圧の縁を回る湿った南風が西日本付近で合流し、極めて大量の水蒸気がもたらされた。
それにより、梅雨前線は 9 日に北上して活動を弱めるまで日本上空に停滞し、西日本から東日本にかけて広い範囲で記録的な大雨となった。
7 月 6 日 17 時 10 分に長崎、福岡、佐賀の 3 県に大雨特別警報が発表され、続いて 19 時 40 分に広島、岡山、鳥取、 22 時 50 分に京都、兵庫と、 1 日で 8 府県に大雨特別警報が発表された。
さらに翌 7 日 12 時 50 分には岐阜県、翌 8 日 5 時 50 分には高知、愛媛の 2県にも大雨特別警報が発表され、最終的に運用を開始して以来最多となる計 11 府県で大雨特別警報が発表された。
この豪雨により、西日本を中心に多くの地域で河川の氾濫や浸水害、土砂災害が発生し、死者数が 200 人を超える 甚大な災害となった。
また、全国で上水道や通信といったライフラインに被害が及んだほか、交通障害が広域的に発生している。
平成に入ってからの豪雨災害としては初めて死者数が 100 人を超え、「平成最悪の水害」と報道された。
人的・建物被害 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
人的被害(人) | 住宅被害(棟) | 非住宅被害(棟) | |||||||||
死
者 |
行
方 不 明 者 |
負傷者 | 全
壊 |
半
壊 |
一
部 損 壊 |
床
上 浸 水 |
床
下 浸 水 |
公
共 建 物 |
そ
の 他 |
||
重
傷 |
軽
傷 |
程
度 不 明 |
|||||||||
220 | 10 | 69 | 335 | 3 | 5,236 | 5,790 | 3,024 | 13,258 | 20,942 | 8 | 80 |
(2018年7月31日8時45分現在の総務省消防庁による被害状況の集計)
私は、 8/7 、まず、倉敷市へと車を走らせた。
自宅を出て、吹田 IC から中国自動車道に入る。
高速を走ること十数分・・・?
声:「あれ?痺れが無い?」
地点は、大阪府と兵庫県の境目位だろうか・・・。
声:「何で・・・??」
不思議に思いながら、車を順調に滑らせていくのだが、明らかに痺れが無い・・・???
山陽自動車を経由しての倉敷までの中間地点に当たる、龍野西 SA で休憩を挟む。
ソフトクリームを食べつつ、頭を整理してみる・・・ゥ─σ(・´ω・`*)─ン…
空路で大阪を離れる→ 12 時間後に痺れから開放
陸路で大阪を離れる→震源地から遠ざかるに従い痺れから解放
飛行機が悪いのか・・・?
でも、飛行機は新幹線程より、電磁波出していないはずなのだが・・・??
頭と体が付いていってないのか(笑)・・・?
声:「う~ん。考えてもわからん(笑)。」
倉敷市真備町に到着。
被災地を歩いて回ること2時間弱。
これに関しては、また、後日。
そして、夕方には倉敷市内に取っておいたホテルへ向かう。
夜は、弊社商品を倉庫に保管して頂いている倉敷市にある運送会社の専務と食事をした。
豪雨後、すぐに連絡を取り、会社や従業員に被害が及んだということは無いと確認していたのだが・・・。
その際、「被災者の荷物を運んだりするのに段ボールが必要なのだが、被災地では供給が追い付かないらしく、預けている ASK の段ボールを使わせてもらえないだろうか?」という相談を受けて、即諾して、使ってもらった。
ASK のロゴマーク入り段ボールがどこかで活躍したはずである・・・多分。
専務によると、同業者で、被害を受けて、トラックごと流されたり、保管している商品が流されたりという会社がいくつもあるようだ。
翌 8 日、広島県の被災地を、巡っていく。
三原市、竹原市、呉市、安芸郡熊野町、東広島市と周り、夕刻、広島市内のホテルへ到着。
ここまで、痺れをすっかり忘れていたのだが、何やら違和感が・・・?
この時点では、何故、痺れが復活したのかわからなかった・・・??
声:「今までの、全てが、俺の思い過ごしだったのかなぁ?」
夜、広島で特約店をしている方に会い状況を聞きつつ食事を一緒にする。
朝になっても、痺れは、一向に収まらない・・・?
翌9 日、午前中、安芸区、安佐南区、安佐北区と巡り、午後から、再び、呉市に入る。
広島市の中心地を離れるに従い、痺れが弱まる状況に疑問を思いつつ・・・。
声:「あっ!原爆?」
昨日、宿泊したホテルは爆心地の側だったのを思い出した・・・( ̄へ ̄|||) ウーム
声:「まさかなぁ・・・?」
その日のうちに、四国に渡り、松山に宿泊する。
痺れは無い・・・。
翌 10 日、西予市、宇和島市を周り、西予市の海岸沿いの民宿に宿泊。
翌 11 日、朝、海岸線を走らせ、本州へと向かう途中。
再び、腕に違和感が・・・。
声:「あっ・・・。ここって、〇〇〇〇に近い所じゃ・・・?」
Googleマップで調べて見ると、十数km 地点。
直線距離にすれば、10km もない・・・?
声:「どうやら、私の腕の痺れは、本当に磁場がおかしいところに反応するようになったのだろうか??????」
次回へ・・・。