ボクシングの元世界 6 階級制覇王者マニー・パッキャオ(フィリピン)が 29 日、正式に引退を表明した。
・・・という訳で、久々にボクシングネタである。
興味がない人は、読まないでいただいて結構である(笑)。
42 歳のパッキャオは 8 月、 WBA 世界ウェルター級タイトルマッチで、同級スーパー王者ヨルデニス・ウガス(キューバ)に 0-3 の判定負け( 113-115 、 112-116 、112-116 )を喫し、 2 年 1 ケ月ぶりの試合で、団体内の王座統一に失敗となり、これが自身にとって 4 年 1 ケ月ぶりの黒星となる 8 敗目だった。
敗戦後にパッキャオはフィリピンの歌手トニー・ゴンザガの公式 YouTube で「私のキャリアは終わった。」などと話したことが伝えられていたが、所属する“ MP プロモーションズ”のプロモーター、ショーン・ギボンズ氏は「正式なものではない。」と否定していたのだが・・・。
29 日、ツイッターで・・・・
原文:「To the greatest fans and the greatest sport in the world, thank you! Thank you for all the wonderful memories. This is the hardest decision I’ve ever made, but I’m at peace with it. Chase your dreams, work hard, and watch what happens. Good bye boxing.」
訳:「世界最高のファンと最高のスポーツに感謝します! 素晴らしい思い出をありがとう。これは私がこれまでに行った中で最も難しい決断ですが、私はそれで安堵しています。夢を追いかけ、我武者羅に、そうしたうえで何が起こるかを見てください。さようならボクシング。」
国会議員でもあるパッキャオは、前述の敗戦後、「ボクシングよりも大変な問題が政局にはある。人々の助けになりたい。それが私の使命だ。」と大統領選出馬をにおわせる発言をしており、与党「 PDP ラバン」の幹部でもあり、同党の一部の支持派から大統領選候補に指名され、受諾をしていた。
人々を魅了してきたマニー・パッキャオ・・・。
本名、エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ( Emmanuel Dapidran Pacquiao )。
ライト・フライ級でデビュー以来、次々と階級を上げながらスーパー・ウェルター級までの 11 階級を渡り歩き、その過程で幾多の名王者・名選手を撃破した、アジア人初そしてボクシング史上二人目、史上最多タイ記録となるメジャー世界タイトル 6 階級制覇王者である。
因みに、ボクシングの階級は以下のようになっている。
1. ミニマム級 @ 47.62kg 以下
2.ライト・フライ級 @ 48.97kg 以下
3. フライ級 @ 50.80kg 以下
4. スーパー・フライ級 @ 52.16kg 以下
5. バンタム級 @ 53.52kg 以下
6. スーパー・バンタム級 @ 55.34kg 以下
7. フェザー級 @ 57.15kg 以下
8. スーパー・フェザー級 @ 58.97kg 以下
9. ライト級 @ 61.23kg 以下
10. スーパー・ライト級 @ 63.50kg 以下
11. ウエルター級 @ 66.68kg 以下
12. スーパー・ウエルター級 @ 69.85kg 以下
13. ミドル級 @ 72.57kg 以下
14. スーパー・ミドル級 @ 76.20kg 以下
15. ライトヘビー級 @ 79.38kg 以下
16. クルーザー級 @ 90.72kg 以下
17. ヘビー級 @ 90.72kg 超
この 17 階級に分けられている。
つまり、パッキャオは、ライト・フライ級( 48.97kg 以下)でデビューして、スーパー・ウエルター級( 69.85kg 以下)と実に約 20 kgもウェートを増やして、戦ったと言うことである。
ボクシングが階級別に分かれているのは、階級制度ない場合、当然、体格が大きい選手が有利になってしまうためである。
同じ階級同士で試合をすることにより、体格の近い選手と試合することができるため、差が少なくなる。
しかし、同じ階級でも身長が大きいと有利に試合をすることができるため、体重を絞って体格が小さい選手がいる階級に減量して、リングに上がるというのが一般的であはある。
因みに、パッキャオの身長は 166cm 、リーチ(手を開き両腕を左右に限度まで広げた時の中指から中指までの長さ)は 170cm である。
パッキャオの戦った一番重い階級であるスーパー・ウエルター級の平均身長は約 178cm である。
かなりの体格差があることが分かると思う。
パッキャオの戦歴を見てみよう。
勿論、Wikipedia を参考にしながら、修正を加えていく。
【アマチュア時代】
ブルース・リーとモハメド・アリを見て格闘技に興味を持ち、マイク・タイソンの試合をきっかけに 12 歳頃からボクシングを始めると、週末に広場で開かれる草ボクシングの試合に出場して少額のお金を稼ぐようになる。 14 歳の時マニラへ出稼ぎに行き本格的にボクシングを始め、しばらくの間は路上で寝泊まりしながらトレーニングを積んでいた。フィリピンナショナルアマチュアボクシングチーム入りを果たし政府から住居と食事の保証を受けるようになる。アマチュアボクシングでの戦績は 64 戦 60 勝 4 敗だがオリンピックや世界選手権などの大きな大会での実績は無い。
【ライト・フライ級~バンタム級】
1995 年 1 月 22 日、 16 歳 1 ケ月でライト・フライ級でプロデビュー。
ただし、パッキャオは、体重がミニマム級の上限体重 47.62kg ポンドにすら届かない 44.45kg しか無かったためポケットに鉄の重りを忍ばせ 48.08kg で計量をパスし、 4R 判定勝ちを収める。
1996 年 2 月 9 日、 12 戦目となるルスティコ・トーレカンポでは、計量で体重超過し失格となり、体重超過の罰則で重いグローブを着用し試合に挑んでに 3R 0:29 KO 負けを喫し、初黒星。
【フライ級】
1997 年 6 月 26 日、 21 戦目で、チョックチャイ・チョクビワット(タイ)から OPBF 東洋太平洋フライ級王座を 5R 2:46 KO 勝利をおさめ初戴冠。
1998 年 5 月 18 日、24 戦目は、初来日し、東京・後楽園ホールで日本ランカーの寺尾新(八王子中屋ジム)とノンタイトル戦を行い 1R 2:59 TKO 勝利で下す。
1998 年 12 月 4 日、 27 戦目で、初となるメジャー団体世界タイトルへ挑戦、 WBC 世界フライ級王者チャッチャイ・ダッチボーイジム(タイ)を 8R 2:54 TKOで下し、王座を獲得。
因みに、チャッチャイ・ダッチボーイジムは、 1995 年 9 月 25 日、無敗のまま協栄ボクシングジム所属のロシア人ボクサーだった勇利・アルバチャコフに世界初挑戦し 12R 判定負けを喫するも、対戦成績 69 戦 65 勝( 40KO ) 4 敗の選手である。
1999 年 9 月 17 日、メッグン・ 3K バッテリー(タイ)戦は、 2 度目の防衛戦になるはずだったが、パッキャオは前日計量で体重超過、失格で王座を剥奪され、試合も 3R 1:32 KO 負けを喫す。
【スーパー・バンタム級】
メッグン・ 3K バッテリー戦の敗北後、スーパー・バンタム級まで一気に 3 階級上げる。
1999 年 12 月 18 日、レイナンテ・ハミリと WBC インターナショナル・スーパー・バンタム級王座決定戦を行い、 2RTKO 勝利をおさめ、王座獲得( 5 度防衛)。
2001 年 6 月 23 日、米ラスベガスの MGM グランド・ガーデン・アリーナで行われた(後に対戦することになる)オスカー・デ・ラ・ホーヤの試合の前座に出場し、 IBF 世界スーパー・バンタム級王者レーロホノロ・レドワバ(南アフリカ)と対戦し、レドワバから 3 度のダウンを奪い、 6R 0:59 TKO勝ちを収め、 2 階級制覇を達成( 4 度防衛)。
【フェザー級】
2003 年 11 月 15 日、米テキサス州サンアントニオのアラモドームにてメキシコのスター選手、マルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ)と対戦し、下馬評ではバレラが賭けのオッズで 1 対 4 と有利だったが、3R と 11R にダウンを奪い、11R 2:56 TKO 勝利を収め、リングマガジン認定世界フェザー級王者となり、2 階級制覇を達成。この番狂わせで評価と注目を獲得。
因みに、マルコ・アントニオ・バレラは、“Baby Face Assassin (童顔の暗殺者)”の愛称を持つ世界 3 階級制覇王者(スーパー・バンタム級、フェザー級、スーパー・フェザー級)で、対戦成績 75 戦 67 勝( 44KO ) 7 敗 1 無効試合のメキシコの英雄の一人である。
2004 年 5 月 8 日、米ラスベガスの MGM グランド・ガーデン・アリーナにて WBA / IBF 世界フェザー級統一王者のファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)と対戦し、パッキャオが、 1R に 3 度のダウンを奪ったが、 1R 以降、マルケスはダウンのダメージを回復し、カウンター主体のマルケスに猛反撃を受け、ジャッジ三者三様の 12R 引き分け判定となった。ジャッジ 3 人のスコアは、 115-110 でパッキャオ勝利が 1 人、 115-110 でマルケス勝利が 1 人、 113-113 で引き分けが 1 人であった。しかし、試合後 113-113 をつけたジャッジが 1R のスコアを 10-6 につけるところを誤って 10-7 とつけてしまったと認めており、もしその 113-113 をつけたジャッジが他の 2 人のジャッジと同じように 1R を 10-6 とつけていた場合、 2-1 のスプリットデシジョンでパッキャオが勝っていた事になる。余談だが、マルケスは 50 万ドルのファイトマネーを獲得。
因みに、ファン・マヌエル・マルケスは、“Dinamita(スペイン語でダイナマイト)”の異名を持つ世界 4 階級制覇王者(フェザー級、スーパー・フェザー級、ライト級、スーパー・ライト級)で、対戦成績 64 戦 56 勝( 40KO ) 7 敗 1 分のメキシコの英雄の一人である。
2004 年 12 月 11 日、ファーサン・3Kバッテリー(タイ)とIBF世界フェザー級挑戦者決定戦を行い、4R 1:26 TKO 勝利を収め王座獲得。
【スーパー・フェザー級】
2005 年 3 月 19 日、米 MGMグランド・ガーデン・アリーナにて、エリック・モラレス(メキシコ)と対戦し、パッキャオは、 5R に偶然のバッティングで右目尻をカット、その後も善戦するがジャッジ 3 者共に( 113-115 )の 2 ポイントの僅差で、 0-3 で 12R 判定負けを喫す。この試合は、 PPV を 35 万件を売り、1,570 万 $ の売上げを上げ、モラレスは 275 万ドル、パッキャオは 175 万ドルのファイトマネーを獲得。
因みに、エリック・モラレスは、“El Terrible(スペイン語で恐怖の男)”のニックネームを持つ世界 4 階級制覇王者(スパー・バンタム級、フェザー級、スーパー・フェザー級、ライト級)で、対戦成績 61 戦 52 勝( 36KO ) 9 敗の前述したバレラとはライバル関係にあるメキシコの英雄の一人である。
2005 年 9 月 10 日、ロサンゼルスのステイプルズ・センターにて WBC インターナショナル・スーパー・フェザー級王座(※注 1) 決定戦で、ヘクトール・ベラスケス(メキシコ)に、6R 2:59 TKO 勝利を収め王座獲得。同日、同会場で試合をしたエリック・モラレスが、ザヒール・ラヒームにまさかの 12R 大差判定負けを喫した。
(※注 1 ) WBC が 1980 年代半ば頃から認定を開始したタイトルで、世界王座に次ぐ国際間で争われる王座という位置づけ。
2006 年 1 月 21 日、米ラスベガスのトーマス & マック・センターにて、エリック・モラレスと再戦を行い、 10R 2:33 TKO 勝利を収めリベンジを果たす。この試合は、 PPV を 36 万件を売り、 1620 万ドルの売上げを上げ、モラレスは 175 万ドル 、パッキャオは 200 万ドルのファイトマネーを獲得。
2006 年 7 月 2 日、フィリピン・ケソンのアラネタ・コロシアムで WBC インターナショナル王座の防衛戦を行い、この試合のために階級を 2 階級上げた元スーパー・バンタム級王者オスカー・ラリオス(メキシコ)と対戦し、 2 度のダウンを奪ったパッキャオが 3-0 で 12R 大差判定勝利し防衛に成功した。この試合以降パッキャオは主戦場をアメリカへ完全に移したため、この試合が母国フィリピンでの最後の試合となった。
因みに、オスカーラリオスは、“Chololo( Teodoro =テオドロという名前を言おうとしたときに、舌が回らずに Chololoと言ったのを周囲の人間が面白がってあだ名にした)”の愛称持つ世界 2 階級制覇王者(スパー・バンタム級、フェザー級)で、対戦成績 71 戦 63 勝( 39KO ) 7 敗 1 分の日本のリングにも 6 度登場したボクサーである。
2006 年 11 月 18 日、米トーマス & マック・センターにてエリック・モラレスとのラバーマッチ( 3 戦目)、終始モラレスを圧倒し続け 3R 2:57 TKO 勝利を収め、ライバルとの決着をつけた。試合の観衆は 18,276 人で、この試合は、 PPV を 35 万件を売り、1,750 万ドルの売上げを上げ、ファイトマネーはモラレスが 275 万ドル、パッキャオが 300 万ドルを獲得した。
2007 年 10 月 6 日、米ラスベガスのマンダレイ・ベイ・イベント・センターにてマルコ・アントニオ・バレラとの再戦で 3-0 ( 118-109 、118-109 、115-112 )の 12R 大差判定勝ちを収め、試合前からこの試合で現役引退することを表明していたバレラに引導を渡した。しかしバレラは 13 か月後に現役復帰(笑)。
2008 年 3 月 15 日、米マンダレイ・ベイ・イベント・センターにてファン・マヌエル・マルケスと 4 年半ぶりに再戦、パッキャオが 3R にダウンを奪うが、マルケスの猛反撃もあって初対決時を上回る激闘の末、 2-1 ( 115-112 、115-112 、 113-114 )のスプリット・デシジジョンで 12R 判定勝ち。パッキャオはWBC・リングマガジン認定世界スーパー・フェザー級王者となり、アジア人として初のメジャー王座 3 階級制覇を達成。試合の観衆は 11,061 人、マルケスは 150 万ドル、パッキャオは 300 万ドルのファイトマネーを獲得した。
【ライト級】
2008 年 6 月 29 日、米マンダレイ・ベイ・イベント・センターにてデビッド・ディアス(米)と対戦し、初回から一方的に攻め続けて 9R 2:24 KO 勝利を収め、 WBC 世界ライト級王座を獲得すると共にアジア人として初のメジャー王座 4 階級制覇を達成。試合の観衆は8,362人で、この試合は、 PPVを 25 万件を売り、 1,250 万ドルの売上げを上げ、ディアスは 85 万ドル、パッキャオは 300 万ドルのファイトマネーをそれぞれ獲得。フィリピンでのテレビ視聴率は 63.8% だった。
【ウェルター級】
2008 年 12 月 6 日、米 MGM グランド・ガーデン・アリーナにて、パッキャオは、階級を 2 階級上げて、オスカー・デ・ラ・ホーヤとウェルター級契約のノンタイトル 12 回戦で対戦。現役屈指の人気と実力を兼ね備えた選手同士、加えて両者の体格差から実現することは不可能と思われていた対決とあって「 The DREAM MATCH(夢の対決)」と銘打たれていたが、2004 年には、ミドル級を制し、 6 階級制覇王者となったデラホーヤに対して、パッキャオはライト・フライ級上がりということもあり、多くのボクシング関係者やファンが、「試合自体が無謀で、勝負にならない。デラホーヤが勝つに決まっている。」という見解を示し、両者との対戦を希望している近隣階級のボクサー達からは、「 2 人とも大金に目が眩んだから、こんな馬鹿げた試合が決まったんだ。」といった批判もあった。試合前の予想ではブックメーカーの賭け率で 1.5 対 2.5 とデ・ラ・ホーヤが僅差で有利だったが、いざ、試合が始まると、 1R からパッキャオが主導権を握り、一方的な攻勢の末に 8R 終了時 TKO 勝利を収めた。パッキャオは 1,100 万ドル以上のファイトマネーを獲得。フィリピンの視聴率は 45.6% を記録した。また、この試合は 2008 年のリングマガジン アップセット・オブ・ザ・イヤーに選出された。
因みに、オスカー・デ・ラ・ホーヤは、“Golden Boy”の愛称を持ち、 19 歳の時にバルセロナオリンピックのライト級で金メダルを獲得。プロデビュー後は、史上最年少かつ最短で 5 階級制覇を達成し、04 年にはミドル級王座を獲得し、ボクシング史上初の世界 6 階級制覇王者(スーパー・フェザー級、ライト級、スーパー・ライト級、ウェルター級、スーパー・ウェルター級、ミドル級)の超人気ボクサーである。パッキャオ戦後は引退し、現在は、ゴールデンボーイ・プロモーションズという興業会社をプロモートし、近年、現役復帰を目指している。対戦成績 45 戦 39 勝( 30KO ) 6 敗。
【スーパー・ライト級】
2009 年 5 月 2 日、米 MGM グランド・ガーデン・アリーナにて、リッキー・ハットン(英)と対戦。スーパー・ライト級で全勝を誇るハットンのファイトスタイルがプレッシャーと打たれ強さを活かしたスタイルであるため、下の階級から上げてきたパッキャオが不利と予想する専門家やファンも多かったが、試合は 1R からパッキャオが 2 度のダウンを奪い、 2R 2:59 左のカウンター一撃で痛烈な KO 勝ちをし、 IBO ・リングマガジン認定世界スーパー・ライト級級王座を獲得。パッキャオは 1,200 万ドルのファイトマネーを獲得。この試合は 2009 年のリングマガジン ノックアウト・オブ・ザ・イヤーに選出された。
因みに、リッキー・ハットンは、“ The Hitman (殺し屋)”の異名を持つ、世界 2 階級制覇王者(スパー・ライト級、ウェルター級)で、対戦成績 48 戦 45 勝( 32KO ) 3 敗のイギリスの人気ボクサーである。
【ウェルター級】
2009 年 11 月 14 日、米 MGM グランド・ガーデン・アリーナにて、 WBO 世界ウェルター級王者ミゲール・コット(プエルトリコ)と対戦し、試合はウェルター級の規定体重 147 ポンドでは無く 145 ポンドのキャッチウェイト(※注 2 )で行われた。試合は、パッキャオが、 3R に右フックで、 4R に左アッパーで 2 度のダウンを奪うとその後は一方的になり、 12R コットがロープ際に詰められたところでレフェリ が試合をストップ。パッキャオは 12R 0:59 TKO 勝ちを収め、 WBO スーパー王座と WBC が新設したダイヤモンド王座を獲得し、 5 階級制覇を達成。試合の観衆は 15,930 人、この試合は PPV を 125 万件を売り、 7,000 万ドルの売上げを上げ、で 8,847,550 ドルのチケット売上げがあり、ファイトマネーはコットが 1,200 万ドル、パッキャオが 2,200 万ドルを獲得した。
因みに、ミゲール・コットは、一応、愛称“Junito”となっているが、ボクシングファンの間では浸透していない。プエルトリコ初の世界 4 階級制覇王者(スーパー・ライト級、ウェルター級、スーパー・ウェルター級、ミドル級)で、メイウェザー、パッキャオ、カネロ、セルヒオ・マルチネス、シェーン・モズリー、ザブ・ジュダー、オースティン・トラウトアントニオ・マルガリート、ジョシュア・クロッティ、リカルド・マヨルガ等々、キャリアを通じて、対戦したトップファイターは枚挙に暇がないほどのプエルトリコの英雄である。対戦成績 47 戦 41 勝( 33KO ) 6 敗。
(※注 2 ) 正規の階級の規定体重ではなく、事前に両選手間の話し合いで決められた体重で試合を行うこと。
2010 年 3 月 13 日、米テキサス州のカウボーイズ・スタジアムにて、ジョシュア・クロッティ(ガーナ)を相手に初防衛戦を行った。この試合で、パッキャオは、自己最高数となる合計 1,231 発ものパンチを放つが、多くが防御に徹するクロッティの堅いガードに阻まれてしまい、届いたパンチは 246 発に留まった。クロッティは 399 発のパンチを放ち 108 発を命中させた。手数で試合を支配したパッキャオがフルマークが付く 12R 大差判定勝ち( 120-108 、119-109 、119-109 )で初防衛に成功。試合後、フィリピンに帰国したパッキャオは引退の可能性を口にした。試合の観衆は、41,843 人、この試合は、 PPV を 70 万件を売り、 3,520 万ドルの売上げを上げた。クロッティは 245 万ドル、パッキャオは 1,500 万ドルのファイトマネーを獲得。
因みに、ジョシュア・クロッティは、「ガーナの至宝」と呼ばれる対戦成績 44 戦 39 勝( 22KO ) 4 敗 1 無効試合のガーナの英雄である。
【スーパー・ウェルター級】
2010 年 11 月 13 日、米テキサス州のカウボーイズ・スタジアムでアントニオ・マルガリート(メキシコ)と WBC 世界スーパー・ウェルター級王座決定戦で対戦。試合はスーパー・ウェルター級の規定体重 154 ポンドを 4 ポンド下回る 150 ポンドのキャッチウェイトで行なわれた。試合前には、 5 月の下院選挙に当選して以来、国会議員としての仕事が多忙となり、練習に集中できていないパッキャオの様子が報道されていた。両選手の体格差が注目された試合でもあった、試合前日の計量時でパッキャオの 144.6 ポンドに対しマルガリートは 150 ポンドで 5.4 ポンドの差であったが、試合当日にはさらに差が広がりパッキャオの 148 ポンドに対しマルガリートは 165 ポンドと 17 ポンド(約 8kg )もの体重差があり、身長もマルガリートは 180cm で 12cm 差があり、両選手の体格差が大きいため試合前には心配する声も挙がっていた。試合は、 6R と 8R にマルガリートの強烈なボディをもらいぐらつく場面があったが、パッキャオは序盤から試合を通してスタミナを切らすことなく圧倒的なスピード差でパンチを打ち続け、終盤にマルガリートを KO 寸前に追い込んだ末 3-0 で 12R大差判定勝ち( 120-108 、118-110 、119-109 )を収め、史上 2 人目となるメジャー 6 階級制覇を達成。この試合は、 PPV を 115 万件を売り、 6,400 万ドルの売上げを上げ、試合の観衆は無料チケットで招待されたスポンサーやメディア関係者を含め 40,154 人、その内チケット購入者は 30,437 人で、 5,404,760 ドルのチケット売上げがあり、マルガリートは 300 万ドル以上、パッキャオは 1,500 万ドル以上のファイトマネーを獲得。
【ウェルター級】
2011 年 5 月 7 日、米 MGM グランド・ガーデン・アリーナで、元 3 階級制覇王者シェーン・モズリー(米)と 2 度目の防衛戦。 3R に得意の左ストレートでダウンを奪った後はモズリーがパッキャオの強打を恐れ逃げ続ける展開となり、 3-0 の12回大差判定勝ち( 119-108 、120-108 、120-107 )で、 2度 目の防衛に成功。両選手が試合で放ったパンチ数はパッキャオの 522 発に対してモズリーは 260 発であった。この試合でモズリーは 500 万ドル、パッキャオは 2,000 万ドルのファイトマネーを獲得。
因みに、シェーン・モズリーは、驚異的なスピードに乗せ、抜群のハンドスピードとパワーを兼ね備えたパンチを全階級でも屈指の回転力で連射するそのスタイルから、“ Sugar ”の愛称を持ち、以前も紹介したがシュガー・レイ・レナードの再来と言われ、アマチュア戦績 260 戦 250 勝で、バルセロナオリンピックのライト・ウェルター級候補だったが、最終選考で敗れ出場は果たせなかった。前述のデ・ラ・ホーヤとも 2 度対戦している世界 3 階級制覇王者(ライト級、スーパー・ライト級、ウェルター級)で、対戦成績 61 戦 49 勝( 41KO ) 10 敗 1 分1 無効試合の米人気ボクサーである。
2011 年 11 月 12 日、米 MGM グランド・ガーデン・アリーナで 3 度目の防衛戦。 2 階級下の WBA / WBO 世界ライト級王者のファン・マヌエル・マルケスとウェルター級の規定体重 147 ポンドを 3 ポンド下回る 144 ポンド契約のキャッチウェイトで対戦。試合前の予想は、過去 2 戦( 1 勝 1 分)は接戦だったものの、それ以降パッキャオが強豪相手にライト級からスーパーウェルター級までを制覇しているのに対して、マルケスはライト級を主戦場にしておりスーパーライト級以上の階級での試合経験は一度しかなく、その時もメイウェザーに一方的に敗れており、また年齢も 38 歳であったことなどから、パッキャオ圧倒的有利の下馬評であった。オッズもパッキャオが 1 対 7 で有利と予想されていた。しかし、試合はマルケスの巧みなカウンターにパッキャオは大苦戦を強いられ、 5R と 9R に激しく打ち合う場面が見られたがお互い最後までダウンのない接戦の末、2-0 ( 114-114 、115-113 、116-112 )の僅差判定勝ちでパッキャオが辛くも 3 度目の防衛に成功。試合を通しての当てたパンチの数は、マルケスが 436 発中 138 発命中、パッキャオは 578 発中 176 発命中とパッキャオが上回っていた。この試合でマルケスは 500 万ドル、パッキャオは 2,200 万ドルのファイトマネーを獲得。この試合は、年末にリング・マガジン読者の投票により『年間最高“判定を盗まれた”試合(不当判定試合)』に選ばれている。
2012 年 6 月 9 日、米 MGMグランド・ガーデン・アリーナで 1 階級下の WBO 世界スーパー・ライト級王者ティモシー・ブラッドリー(米)の挑戦を受けた。試合前のオッズは 1 対 5 でパッキャオ有利と出ていた。序盤はパンチのヒット率で上回るパッキャオが優勢に試合を進め、左ストレートを時折クリーンヒットさせるが決定的なダメージを与えられず試合終盤にはスタミナが切れ失速した。一方のブラッドリーも巧みなディフェンスを披露するものの、決定打を打てないまま試合を終えた。試合を通してのパンチの統計は、パッキャオが 751 発中 253 発命中(ヒット率 34% )、ブラッドリーが839発中 159 発命中(ヒット率 19% )、強いパンチの比較はパッキャオの 190 発に対してブラッドリーは 108 発であった。試合結果は、 1-2 ( 115-113 、 113-115 、 113-115 )でジャッジ 2 人がブラッドリー支持し、パッキャオの 12 R僅差判定負けとなり 4 度目の防衛に失敗し王座陥落。
2012 年 12 月 8 日、米 MGM グランド・ガーデン・アリーナにて、ウェルター級契約で 1 階級下の WBO 世界スーパーライト級王者ファン・マヌエル・マルケスと 4 度目の対戦。 WBO はこの試合の勝者に特別なチャンピオンベルト「 Champion of the Decade(過去 10 年間で最高の世界王者)」を授与することを発表した。 WBC もダイヤモンド王座を授与したいと申し出たが、マルケスは「チャンピオンシップがダイヤモンドであろうがゴールド、シルバーであろうが私にとって重要ではない」とダイヤモンド王座が懸けられることを拒否した。試合は序盤からパッキャオが手数を出し積極的に攻めたが、 3R にマルケスの右のロングフックでダウンを奪われる。 5R には逆に左ストレートのカウンターでマルケスからダウンを奪い、そこから両者激しい打撃戦に突入。徐々にパッキャオがペースをつかみ始めるが、6R 終了間際、マルケスの強烈な右ストレートのカウンターでダウンし、 6R 2:59 KO負けとなり再起に失敗。このダウンはパンチを食らった瞬間、前のめりに顔から崩れ落ち失神し痙攣するという壮絶なものだった。この試合で、マルケスは 600 万ドル、パッキャオは 2,600 万ドルのファイトマネーを獲得。フィリピンでのテレビ視聴率は 37.8% であった。
2013 年 11 月 23 日、マカオのザ・ベネチアン・マカオ内、コタイ・アリーナにて、ウェルター級契約で、元 WBA 世界ライト級王者のブランドン・リオス(米)と対戦。 試合は 3-0 ( 120-108 、 119-109 、 118-110 )の大差判定勝ちを収め、 WBO が新たに設置した WBO インターナショナル・ウェルター級王座を獲得。この試合で、パッキャオに 1,100 万ドルのファイトマネーを獲得。
2014 年 4 月 12 日、米 MGM グランド・ガーデン・アリーナで WBO 世界ウェルター級王者ティモシー・ブラッドリーと再戦。試合は、3-0 ( 118-110 、116-112 、116-112 )の判定勝ちを収め 2 年振りの王座返り咲きに成功。また、 2009 年にミゲール・コットを倒して以来 5 年近く、 KO ・ TKO 勝利から遠ざかっていたことで、パッキャオはスーパーライト級へ階級を下げることを示唆。
2015 年 5 月 2 日、米 MGM グランド・ガーデン・アリーナで WBAスーパー / BC世界ウェルター級王者フロイド・メイウェザー・ジュニア・ Jr (米)との『 Battle for Greatness (偉大なる戦い)』と銘打たれた王座統一戦。メイウェザーが徹底したアウトボクシングでジャブと常にパッキャオの打ち終わり狙った単発の右カウンターを当てポイントを重ねる展開となり、退屈な試合内容に激しい試合を期待した観客からブーイングが飛ぶ場面もある中で試合が終了、 0-3( 112-116 、 112-116 、110-118 )の判定負けを喫し 3 団体統一に失敗。 1 年 1 ケ月保持していた WBO 王座から陥落。この試合で、メイウェザーは 2 億 2 千万ドル(約 270 億円)から 2 億 3 千万ドル(約 280 億円)、パッキャオは 1 億 5 千万ドル(約 184 億円)のファイトマネーを獲得。フィリピンではこの試合をテレビ局 3 局が同時中継し、 3 局合計で 46.9% の視聴率を記録した。
因みに、フロイド・メイウェザー・ジュニア・ Jr は、“ Pretty Boy ”、“ TBE (The Best Ever (史上最高)”などの異名を持つ世界 5 階級制覇王者(スーパー・フェザー級、ライト級、スーパー・ライト級、ウェルター級、スーパー・ウェルター級)で、圧倒的なスピードと超人的な反応速度を持ち、卓越したディフェンステクニックで相手を翻弄するスタイルで、優れたボクシング IQ と相手を出し抜くカウンターで明確なポイント差をつけ、対戦戦績は 50 戦 50 勝( 27KO) 無敗の史上初めて無敗のまま 5 階級制覇を達成したパウンド・フォー・パウンド最強のボクサーとして評価されている。最近では、 2018 年 12 月 31 日、日本のさいたまスーパーアリーナで開催された RIZIN.14 で那須川天心と、 3 分 3R 契約のジャッジを置かない判定決着なしの KO か TKO のみで決着がつく、公式戦績には残らないボクシングルールのエキシビションマッチで対戦し 1R TKO勝利を収めた。
2016 年 4 月 9 日、パッキャオの引退試合として、米 MGM グランド・ガーデン・アリーナで、通算対戦成績が 1 勝 1 敗の WBO 世界ウェルター級王者ティモシー・ブラッドリーと対戦して王座返り咲きを目指していたが、同年 2 月 9 日に WBO がブラッドリーに 1 位のサダム・アリとの指名試合を発令、ブラッドリーがパッキャオとの決着戦実現を優先し王座を返上したため、世界タイトルマッチではなくなり WBO インターナショナル・ウェルター級王座決定戦に変更になった。試合は、 7R と 9R にダウンを奪い、12R 3-0 ( 116-110 、 116-110 、 116-110 )の判定勝ちを収め王座獲得に成功。白星で引退の花道を飾って、「この試合の後に引退すると家族と約束した。人々に仕え、助けることを引退後は楽しむだろう」と引退の言葉を語った。この試合で、パッキャオは 2,000万ドル、ブラッドリーは 400 万ドルのファイトマネーを獲得。
2016 年 11 月 5 日、 vs ジェシー・バルガス(米) WBO 世界ウェルター級タイトルマッチ 12R 判定勝ちで王座獲得
2017 年 7 月 2 日、 vs ジェフ・ホーン(米) WBO 世界ウェルター級防衛戦 12R 判定ma負けで王座陥落。
2018 年 7 月 15 日、 vs ルーカス・マティセー(米) WBA 世界ウェルター級タイトルマッチ 7R 2:43 TKO 勝ちで王座奪取。
2019 年 1 月 19 日、 vs エイドリアン・ブローナー(米) WBA 世界ウェルター級防衛戦 12R 判定勝ちで初防衛。
2019 年 1 月 19 日、 vs キース・サーマン(米) WBA 世界ウェルター級防衛戦 12R 判定勝ちで 2 度目の防衛。
2021 年 8 月 21 日、 vs ヨルデニス・ウガス(キューバ) WBA スーパー世界ウェルター級タイトルマッチ 12R 判定負け。
冒頭の引退のコメントにより引退発表。
何故、パッキャオがボクシングファンを魅了したのか?
体格差をものともせず、決して逃げないボクシングスタイル。
思い切りの良いステップインから繰り出す左ストレート。
そして、今回は、パッキャオの KO 勝利時のタイムも上げている。
大舞台になればなるほど、ラウンド終盤の KO 勝利が多いのが分かると思う。
常に見せ場を作り、ファンサービスを忘れず、自身のボクシングスタイルを貫き通したことが最大の魅力だったと思う。
対戦成績 72 戦 62( 39KO )勝 8 敗 2分
不世出のスーパースター、マニー・“パック・マン”・パッキャオ。
この愛称は、名前をもじったものだったのだが、階級をあげるごとに大物食いする様から、ゲームのパックマンもかかっている。
ありがとうパッキャオ。