今日は弊社取締役でもあった兄の命日である。
鬼籍に入り、はや、一年が経過した。
8/18 (日)には、一周忌法要も滞りなく済ますことができた。
抗酸化に出会い、兄とどうやったら抗酸化が広がるだろうと、試行錯誤をしていたころが懐かしい。
時は、ノストラダムスが人類滅亡を予言していた 1999 年の「終末ブーム」。
『 1999年 7 の月
空から恐怖の大王が来るだろう
アンゴルモアの大王を蘇らせ
マルスの前後に首尾よく支配するために』
私と兄は、五島勉氏が書いた“大予言”が発売された 1973 年以来、全巻、読むほど大ファンだった。
ただ、本当に人類滅亡するのであれば、抗酸化溶液が生まれた意味がないというのが共通の意見だった(笑)。
日本では、インターネットショップの始まりは 1993 年頃とされている。
現在では、 SNS で話題になればアッという間に広まるが・・・。
因みに、1997 年 5 月に『楽天市場』がオープンしている。
1999 年 12 月に『 Yahoo!ショッピング』がオープン。
2000 年 11 月に『アマゾン・ジャパン』がオープン。
当時を振り返ると、ようやくNTTドコモが i モード対応の携帯電話を発表した頃で、日本のインターネット普及率も 21.4% という低さだった。
ただし、現在、皆も利用する大手 3 社の EC モール開設は、インターネットショッピングがこれからは主流になるというのは明白だった。
以前、私は、(自画自賛だが)日本でも人気のあるボクシングサイトを運営していた。
内容は国内外の試合内容の掲載だった。
英語は得意だったので、海外の試合を翻訳して即日上げるようにしていた。
そんな知識もあったため、自作で HP を作りインターネットショップの道を切り開いてきた。
お陰様で、地道に知名度を上げることが出来た。
そんな最中、旧体制の崩壊を迎える。
兄と私はいち早く、開発者である會田伸一氏を支持し、新会社である『株式会社 会田総合研究所』を設立することになる。
解散する際、主要な商品の名前を渡したので、一から商品名を考え、知名度を上げる必要があった。
しかし、そこはホンモノの持つ力を信じれば、ユーザーは理解してくれるはずとネットの力を最大に活かせるようにした。
HP もプロに頼んでわかりやすくした。
数年が経過するころには、以前の商品名を耳にすることも少なくなってきた。
兄と歩み始めた抗酸化の道もすでに四半世紀である。
病が発覚して、余命半年と言われ、その時、兄が言った一言は忘れない。
「なかなか、面白か人生じゃったばい(笑)。」
それから、 4 年半に渡り、病と闘ってきて、昨年、他界したわけだが・・・。
私の母が亡くなったのは、 63 歳の誕生日を迎えた翌日の兄の誕生日だった。
それ以降は、毎年、母の命日と兄の誕生日を弔うやら祝うやらということが続いていた。
母も兄も 63 歳という若さでの旅立ちとなったが、今でも母と兄は確かに私の中に生きている。
自分のことよりも他人のことばかり考えていた看護師の母。
母と同じく、自分のことよりも他人のことばかり考えていた経営者だった兄。
私は、遺志を継ぎ、明日を見る。