前回の続き・・・。
3月25日、3日目。
ホテルをチェックアウトして、気仙沼市立浦島小学校へと向かった・・・。
浦島小学校は、気仙沼湾の東岸に位置する。
学校名は、最近、某携帯会社のCMで注目を集めている浦島太郎伝説に由来するのかと思ったらそうではないらしい・・・?
学校名の由来については、浦島小学校のHPに解説されているので、学校の歴史と伴に興味があればご覧になるのも良いと思う。
浦島小学校は、平成25年3月31日、63年の歴史に幕を下ろした。
・・・と言っても、学校自体は標高41mに位置する高台にあるので、津波の直接的被害を受けたわけではない。
20年ほど前から地域の過疎高齢化と少子化は進んでいたらしいのだが、東日本大震災によって、地域の人の多くが仮設住宅などへ避難したために児童数がさらに減少したことからの閉校である。
訪れた浦島小学校には、未だに、仮設住宅が建ち並んでいた。
そして、浦島小学校のシンボルとなる二本松の間に、閉校の碑がひっそりと佇んでいた・・・。
表には、校歌、そして、裏には、学校の歴史が刻まれていた。
昭和25年4月の開校以来、63年間で1,239人の児童がこの学び舎を巣立ったという・・・。
平成25年3月15日、最後の卒業式が執り行われ、在校生は、この年の4月から統合先の鹿折小学校へと通っている。
震災は、色んな形で爪痕を残している・・・。
浦島小学校を後にして、私は、同じ気仙沼市にある小泉小学校へと向かった・・・。
ここには、津波祈念石2号が設置されている・・・。
30分ほど車を走らせると、小泉小学校に着いた。
ナビ通りに来たため、裏門に着いたようで、グランドを横切り、祈念石を探していたら、不審者と思われたのか、先生が出てきて、「何か御用ですか?」と声を掛けられてしまった・・・( ̄▽ ̄;)アハハ…
祈念石を見に来た旨を告げると、正面の方にあることを教えていただいた。
正面入り口傍に、祈念石は海を望むように立てられていた。
高さ約4.3m、底辺2.85m、重さ約14トン、将棋の駒のような5角形の自然石に、大きく「津波の教え」が彫刻され、下部には、大理石で、「未来に伝えてほしい」で始まる、地元小泉地区の人たちが書いたメッセージが刻まれていた。
これまでの祈念石と同様に、QRコードが貼り付けられ、震災時の小泉地区の様子が見られるようになっている。
QRコードが読み取れない場合は下記サイトへ・・・。
http://tsunami-ishi.jp/kesennuma-koizumi/
津波祈念石2号のコンセプトは以下のように解説されている。
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一緒に生きた時を忘れない。
小泉地区の鎮魂の象徴となりえること。
命を語るにふさわしい自然のままに原石を使いました。
大地から掘り出された石は何万年もの命の物語があります。
原石の持つ荒々しさ、強さ、温もりを語るパワーを生かしました。
そして、亡くなられた一人一人を想い心と心が繋がるようにと
50cmの丸い窓を開けました。
見る人によって、命の窓、心の窓、未来への窓、絆の入り口と
色々あっていいと思います。
5つのドットは、亡くなられた人達の命を表現する為に
そして、私達の忘れてはならない決意を表したものです。
生きてきたことの大切さを教訓として語り継ぐ。
私達は3.11の教えを忘れない、その思いでデザインしました。
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そして、例の如く、経を上げる。
次回へ・・・。