前回の続き・・・。
前回の寄稿に対して、ある感想を頂いた・・・。
「お早う御座います、今日のブログは凄く切ないですねいつ自分がその立場になるか・・・。」
切実な感想だと思う・・・。
私は、この状況を打開するためにも、抗酸化食品の普及と抗酸化工法の進展が急務だと考える。
さて、『介護殺人 殺人事件の「告白」』シリーズ第二回目は、12月8日、「生き残ってごめん」というタイトルで掲載された。
サブタイトルは、「拘置所で妻への思い」。
シリーズ第一回目の続編である。
記事の内容は、前回同様、要約して、時系列を並び替えてある。
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11年4月、妻がバイクで転倒し左腕を骨折。
通院時、家を出た時、下着しか身につけていない妻に疑問を持つ。
同年9月、病院にて、アルツハイマー型認知症と診断。
「要介護1」の認定を受ける。
「守るのは、わししかおらん。」
新聞配達のアルバイトをやめて介護に専念。
半年後、妻がキレやすくなる。
入浴・着替えも一人では出来なくなる。
「要介護4」の認定を受ける。
妻が、男性のことをとののしることが多くなる。
「お前は誰や!」
「お前は帰れ!」
当時を思い出し男性は泣きじゃくる。
「お母ちゃんから『お前』と言われる。こんなつらいことはない」。
初夏、妻が不眠に・・・。
夜間にも限らず大声で男性をなじる日が続く。
「夜中の声がうるさい。」と近所からの苦情。
ある日、車に乗せると落ち着く妻。
毎晩、深夜のドライブ。
睡眠薬を処方も効果無し。
ケアマネジャーに施設に入れるよう勧められ、市内4施設に申し込む。
しかし、空きが無い。
別の施設にショートステイ(短期入所)を依頼するが、症状を知ると拒否。
妻がいないのは週3?5回のデイサービスに通って朝から夕方まで施設にいる時だけ。
妻がいない間に家事をこなし、2~3時間だけの睡眠が続く。
◇ ◇
「なぜ殺してしもたのか後悔しています。」
「自分だけ生き残ってごめん。」
男性は逮捕後、拘置所で後悔の言葉をノートに綴る。
「家を守り、子供をよく育ててくれてありがとう。」
妻への感謝の思いも書き留める。
なぜ大切な妻に手をかけたのか?
「誰かに助けを求めることができたと言われるかもしれない。でも、あの頃はとにかく介護に必死で、そんな余裕がなかった。」
時々、夜中にふと目が覚める。
ドライブしたり、背中をさすって寝かしつけたり・・・。
真夜中に妻を介護した情景がよみがえる。
「『あんたは前を向いて生きるんやで。』って、お母ちゃんが声をかけに来てる」
男性はそう信じ、妻の分まで精いっぱい生きようと誓う。
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次回へ・・・。