前回の続き・・・。
3回に渡り、毎日新聞12月29日に掲載された44件の介護殺人の追跡取材を寄稿した。
44件全てが、司法上、殺人という枠で括られるのだろうが、その1件1件には、様々な背景があり、各家庭にそれぞれの物語があったのだと思う。
1件1件、キーボードを叩いて入力しながら、その背景を想像し、いたたまれなくなり、何度も入力を中断しなければいけなかった・・・。
介護殺人の被害者・・・。
自身の親族に命を絶たれるということに、どういう感情が湧くのだろうか?
同意の上という例もあった・・・。
認知症で相手が判らない状態という例もあった・・・。
心中をはかるという例もあった・・・。
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介護殺人の加害者・・・。
自身の愛する家族の命を絶つという罪・・・。
加害者は、事件後、当然の如く、司法的に裁かれる・・・。
そして、誹謗、中傷等、社会的制裁も受けることになる・・・。
しかし、加害者はそれだけでは済まないのが現実のようだ・・・。
2016年1月5日の毎日新聞に介護殺人事件の加害者のその後について掲載された。
タイトルは、『認知症の母殺害 再起誓ったが』・・・。
サブタイトルは、『8年の孤独抱え自殺』・・・。
介護殺人事件の加害者が、事件から時間を経て自殺したり、体調を悪化させたりするケースは後を絶たないようだ。
1月5日掲載の記事には、いくつかの事例が取り上げられていた。
内容は、要約して、時系列を並び替えてある。
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■2006年、京都市伏見区で起きた認知症の母殺害事件。
長男は、母親の介護のために会社を辞める。
収入が途絶える。
デイケアなどの介護費や、約三万円のアパートの家賃も払えなくなる。
役所に生活保護の相談するも断られる。
「もう生きられへん、ここで終わりや。」と言う長男。
「あかんか。一緒やで。」と答える母親。
2006年2月、伏見区の桂川河川敷で、車いすに座る認知症の母親(当時86歳)の首を絞めて殺害。
自らも刃物で首を切り自殺を図ったが、助かる。
承諾殺人罪に問われた長男の裁判では、検察側が犯行直前の二人のやり取りを明らかにし、被告の心情に寄り添うような検察側の姿勢もあり、事件は大きく報道された。
京都地裁は06年7月、長男に懲役2年6ヶ月、執行猶予3年((求刑・懲役3年)を言い渡した。
裁判官は、「裁かれているのは日本の介護制度や行政だ。」と長男に同情した。
長男も法廷で「母の分まで生きたい。」と約束した。
それから約8年。
長男は裁判の後、滋賀県草津市の家賃約22,000円のアパートで一人暮らしを始め、木材会社で働く。
部屋には、母親と事件前に病死した父親の位牌を安置する仏壇を置いたが、事件のことを口にすることはなかったという。
勤務先の同僚は、「真面目に黙々と仕事をこなした。」
近所の男性は、「誰かが訪れるのを見たことがない。孤独だったのでは。」
2013年2月、「会社をクビになった。」と親族に伝えたのを最後に、連絡が取れなくなる。
親族が警察に行方不明者届を出す。
14年8月1日に遺体で発見。
その日の朝、長男とみられる男性が琵琶湖大橋から湖に飛び降りるのを目撃した人がいる。
親族の男性は、「彼は最後まで孤独から抜け出せなかった。」
長男が亡くなる際に身に着けていたカバンからは、自分と母親のへその緒。
そしてメモ書き。
「一緒に焼いて欲しい。」
所持金は数百円で預金はなし。
「誰も頼ることもなく逝ってしまった。彼にとって何が必要だったのか分からなかった。」
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次回へ・・・。