前回の続き・・・。
翌週、出張が入っていたので、翌々週、私は佐賀に飛んだ・・・。
福岡でレンタカーを借りて、ASK 本社の駐車場に車を滑り込ませると、見覚えのある車が・・・。
車から降り、倉庫を振り返ると、数人が作業をしていた。
その中に車の主が・・・?
私:「何でここにおっとや?」
主:「おじちゃんこそなんでおっと?」
そう、車の主は、兄の次男坊である甥っ子だったのだ。
甥っ子(次男)は、伊〇志〇サ〇ッ〇が開かれた志〇観〇ホ〇ルの和食レストランの厨房で板前として働いていたはず・・・?
聞くところによると、私が着いた前日に、大人の事情で帰って来たばかりらしく、水害の後始末に駆り出されていたらしい・・・。
倉庫を覗いて見ると、予想以上にひどい状況だった。
奥で作業をしているのが、甥っ子(次男)とその奥さんである。
画像は荒くなるが、拡大すると、 20cm 近く浸水していたのが窺い知れる。
そのことにより段ボールが浮いて、一部崩れてしまったようだ・・・。
下の方に積んでいたパンフレットやリーフレット類も、使えない状況に・・・。
そして、設立すぐに作った無地のいきいきパックのも、同様な状況だった・・・。
結局、段ボールやペール用のビニール袋を手配しなければいけなくなった。
私は作業をしている甥っ子たちを後目に、浸水被害を受けたエリアへと車を走らせた。
エコットは、以前、一般廃棄物処理業を主の生業としていたのだが、その際に所属していた協同組合が、浸水被害の支援をしていることを兄から聞き、当時、私と青年部で活動していた青年部員が理事長になって、陣頭指揮を執っていることも聞いていたので、早速、電話してみた。
(トゥルルル~)・・・p(・o・)・・・(トゥルルル~)
私:「○○君。ご無沙汰。」
理事長(以下:理):「ああ。ご無沙汰です。」
私:「○○君。今、理事長って?」
理:「そうなんですよ(笑)。」
私:「兄貴に聞いたんやけど、佐賀の浸水被害の支援ばしよって?」
理:「はい。」
私:「今から小城市やら大町町の役場に行くんやけど、○○君の先でも、臭いやカビやらで困っている人がいたら、商品を提供するんで言ってくれんね?」
理:「どげん使ったら良かですか?」
私:「石鹸やけん、そのまま普通に洗い落とすみたいに使えば、臭いもカビも消えるけん。」
理:「分かりました。」
私:「よろしくお願いします。」
私は、小城市~多久市~大町町~武雄市と車を走らせてみた。
流石に、 10 日程経過していたので、ある程度の復旧はされていた。
油の流出があった大町町に入ると、まだ、その爪痕が残されていた。
テレビで油の浮いた水が住宅に入り込んでいる映像を見たかもいるだろうが、 10 日以上経過していても、周囲一帯の臭いは消えていなかった。
武雄市に入ると、大量の災害ごみが集積されていた。
水害の凄まじさが手に取るように分かる光景だった・・・。
私は、大町町役場と武雄市役所に足を運んだ・・・。
災害支援の窓口に行き、商品の説明と支援の準備がある旨を伝え、佐賀を後にした。
一ヶ月が経過して・・・。
佐賀県内では、 3 人の命が失われ、 1 人の方が意識不明の状態が続いている。
住宅への被害は 13 市町で、 5,707 棟に上っている。
県がまとめた住宅の被害( 27 日午前 8 時半時点)
全壊・・・ 82 棟
大規模半壊・・・ 68 棟
半壊・・・ 2 棟
一部損壊・・・ 6棟
また、浸水被害は・・・。
床上・・・ 1,539 棟
床下・・・ 4,010 棟
特に、油流出があった大町町では、被害認定調査の結果・・・。
全壊・・・ 77 棟
大規模半壊・・・ 68 棟
半壊・・・ 1 棟
また、佐賀市や多久市、白石町では土砂災害によって住宅計 5 棟が全壊となっている。
そして、 9 月 27 日午前 9 時時点の情報だが、武雄市と大町町では、未だに、 29 世帯 56 人が避難所生活を強いられているようだ。
佐賀県がまとめた大雨による被害額( 9 月 27 日時点)
農林水産業・・・約 127 億円
商工業・・・約 129 億円
公共土木・・・約 88 億円
合計・・・・・・・約 345 億円
1990 年にあった豪雨災害の約 590 億円に次いで、平成以降では 2 番目の規模となったようだ。
被害にあわれた方の平穏な生活が一刻も早く取り戻せることを切に望む。