1995 年(平成 7 年) 1 月 17 日 5 時 46 分 52 秒、地震が発生した。
当時、私は、大阪府寝屋川市に住んでいた。
家中が軋むような轟音で目が覚めた。
横に暫く揺れたかと思ったら、下から突き上げるような揺れが続いた。
後でわかったのだが、時間にして 20 秒程度の揺れだったらしい・・・。
しかし、体感的にはもっと長く揺れていたように感じた。
高校まで長崎県五島市で過ごし、大学を福岡で過ごした私は、地震を体験したことがなかったため、何が起きているのかさえ理解できなかった。
揺れが収まった後の静寂。
ようやく思考がハッキリしてきて、「地震?」という言葉が頭をよぎる。
隣で寝ていた嫁を確認する。
無事なことを確認して、飛び起きた私は、電気を点けてみる。
電気が点かない。
真っ暗な中、階段を下りて、玄関から家の外に飛び出てみる。
周りに変わった状況は無かった。
家の中へ戻り、ガスを確認するが大丈夫だった。
家に戻ると、嫁もリビングに降りて来ていた。
テレビがつかないので情報の収集しようがない。
暫くして、電気が点くようになった。
テレビを点けてみる。
「震源は淡路島 震源の深さ20km,地震の規模は マグニチュード7.2」
続いて、「神戸震度 6 」と「津波なし」という情報は理解できた。
当時、私は外資系保険会社の神戸支社で働いていた。
当然、神戸に住んでいる者が殆どだった。
私が生まれてから聞いたことのないような“マグニチュード 7.2 ”という地震の規模に「支社は?」、「同僚は?」、「街は大丈夫だろうか?」とグチャグチャの思考が頭を駆け巡った。
取り敢えず、営業所長に電話するが繋がらない。
そして、すべての近畿地方の高速道路が通行止めになっていて、大阪では震度 4 だったことも分かってきた。
当初、神戸も被害は軽度というニュースが流れていた。
しかし、その後、「火災が数ケ所で発生している」というニュースが飛び込んでくる。
家の倒壊も数多くある模様。
芦屋の方ではそこら中から煙が出ている模様。
阪神高速道路の高架橋が落下しているとの未確認情報。
ポートアイランドで浸水被害が起こっている模様。
明るくなるに従い、状況が把握できるようになり・・・。
神戸市東灘区でガス漏れが発生したこと。
神戸市須磨区、垂水区のマンションが倒壊したこと。
須磨区、垂水区に同じ営業所の後輩が住んでいる。
不安を募らせる情報が次々に飛び込んでくる。
次に、神戸の屋外の映像がはじめて放映され、 JR 須磨駅と芦屋駅で列車が脱線している映像。
ヘリコプターからの衝撃的な映像が届く。
神戸上空からの想像を絶する火災の様子。
倒壊した家屋、ビル、ひしゃげた自動車、倒れた橋脚、火災、煙・・・。
そして、悲惨な映像の上には、○○名死亡、○○名生き埋めというようなテロップが流れる。
神戸の生田神社が倒壊している模様。
阪神高速の倒壊。
阪神高速の落橋により今にも落ちそうになっているバス。
甚大な被害が次々と伝えられていく。
私がその後被災地で取った行動は、以前、寄稿している。
【人的被害】
死者: 6,434 人
行方不明者: 3 人
負傷者: 43,792 人
避難人数(ピーク時): 316,678 人
【住家被害】
全壊: 104,906 棟
半壊: 144,274 棟
全半壊合計:約 46 万世帯
一部損壊: 390,506 棟
【火災被害】
全焼: 7,036 棟
焼損棟数: 7,574棟
罹災世帯: 8,969世帯
【その他被害】
道路: 7,245 箇所
橋梁: 330 箇所
河川: 774 箇所
崖崩れ: 347箇所
【被害総額】
約10兆円規模
NHK による死体検案書の分析によると、地震当日に死亡した 5,036 人の 76% に当たる 3,842 人は地震から 1 時間以内に死亡しており、このうちの 9 割が圧迫死(圧死、窒息死など)だったという。
多くは木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになって即死したとみられる。
特に 1 階で就寝中に圧死した人が多かったようだ。
私の同僚も、火の手があがった家屋から瓦礫の下敷きになった人を助けようと思って、何人も集まって手を貸すが、助けることが出来なかったという無念の言葉を数多く聞いた。
そして、 PTSD (心的外傷後ストレス障害)に悩んでいる同僚もいた。
あれから 25 年経つが、今でも、当時のことは鮮明に覚えている。
阪神淡路大震災後も多くの地震、水害、噴火と多くの災害があった。
上に災害で亡くなられた方及び行方不明者を、人的災害として、死者: 6,434 人、行方不明者: 3 人という書き方をしているが、この数字は、本来、 6,434 件そして 3 件の事件として捉えなければいけないものである。
この数字の裏には、被害に遭われた方本人は当然のことだが、そのご遺族、そして友人・知人の想いを重ねて考えなければ、ただの数字でしかなくってしまう。
四半世紀経ちましたが、被害に遭われたか人々とそのご遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センターというサイトがあり、地震を体験された方の「震災を語る」と言うコーナーがあり、震災の教訓を未来へ残すための尊い言葉ある。
誰もが、何時、被災するか分からない。
是非、自身のために活かして欲しい。