「真実の口」2,269 東日本大震災から 14 年

昨日で、東日本大震災から 14 年の月日が経過したことになる。

今回は少し視点を変えてみたいと思う。

2011 年 3 月 11 日、多くの人が震災により生命を奪われたが、新しく授かった生命もある。

2011 年の出生数は 1,050,807 人である。

1 月: 88,493 人
2 月: 79,755 人
3 月: 87,512 人
4 月: 85,254 人
5 月: 86,491 人
6 月: 87,266 人
7 月: 91,383 人
8 月: 93,066 人
9 月: 92,497 人
10 月: 89,180 人
11 月: 84,667 人
12 月: 85,243 人

流石に、出生日までは追えないが、 3 月生まれは 87,512 人いる。

今まで、考えたことはなかったのだが、各月の出生数はどんなものなんだろうか?

私が生まれた年の翌年( 1965 年・昭和 40 年)は以下のようになっている。

総数: 1,823,697 人

1 月: 167,220 人
2 月: 151,449 人
3 月: 159,421 人
4 月: 154,749 人
5 月: 140,137 人
6 月: 135,226 人
7 月: 151,439 人
8 月: 157,205 人
9 月: 158,68 人1
10 月: 159,240 人
11 月: 144,084 人
12 月: 144,846 人

日本では、 4 月生まれ( 4/1 生まれを除く)からが学年内の年長となり、早生まれの子( 1/1 ~ 4/1 までに生まれた子)は学年内で年少となるため、早生まれが不利だと言われることが多いようだが・・・。

データで見ると、 1965 年(昭和 40 年頃)までは圧倒的に 1 ~ 3 月の早生まれの赤ちゃんが多かったようである。

かく言う私も 3 月 17 日なので早生まれである。

小さい頃より、誰よりもデカく育って不利に思ったことはない(笑)。

こんなデータから紐解くと、 1965 年(昭和 40 年)頃は、高度経済成長期の真っ只中で、日本国民の経済が安定し豊かになってきた頃である。

因みに、 1 ~ 3 月生まれは、 4 ~ 6 月に授かった事になる。

昔は、厳しい冬を越えること = 生命の維持だった。

厳しい冬を無事に越えた春先に気持ちが緩み、身体のエネルギーが高まり、次世代への生命のバトンが渡されたのではないだろうか?

ただ、この頃を境に、月別出生数の特徴が変わり始めるようだ。

1975 年(昭和 50 年)ころから 7 月~ 9 月の生まれの赤ちゃんが増え始める。

2011 年は前述したが、私らが生まれたときと比べて、 6 割程度に減っていることにも驚きだが、確かに、 7 〜 9 月生まれが多いのがわかる。

最新の 2022 年を見てみよう。

総数: 770,759 人

1 月: 64,721 人
2 月: 56,868 人
3 月: 62,352 人
4 月: 62,209 人
5 月: 61,938 人
6 月: 62,432 人
7 月: 66,757 人
8 月: 70,950 人
9 月: 69,953 人
10 月: 67,449 人
11 月: 62,967 人
12 月: 62,163 人

震災時と比して、更に、 約 73% 程度に減っているという驚異・・・。

やはり、 7 〜 9 月生まれが多い。

妊娠・出産関連サービスを手がけるベビーカレンダーの調査では、「夫の夏季休暇があって、産後のサポートを受けやすい」などと、夏の出産を希望する人が増えたから・・・?

娘や息子を見ていると、共働き家庭が増えて、産む時期について計画的になったからなのかなどと想像する。

話を戻そう。

2011 年の 東日本大震災当日に被災三県(宮城、岩手、福島)で犠牲となった乳児は 70 人となっている。

病院で死亡したのはそのうち 1.4% 、自宅 4.3% 、その他の場所は 94.3% であり、東日本大震災当日を除く 2011 年の総計 93 人の死亡場所(病院 91.4% 、自宅 6.5% 、その他 1.1% )と比すると、その違いは明確だ。

単純に 2011 年 3 月 11 日に生まれた人数を 87,512 人割ることの 31 日とすると、約 2,823 人が震災の日に生まれたことになる。

厚生労働省が調べた 2016 年(平成 28 年)〜  2020 年(令和 2 年)の日本で起きた1日の様々な数字がある。

日本の1日に起きたこと

1 日に生まれるのは 2,297 人。

1 日に亡くなるのは 3,750 人。

差し引き、 1 日の人口減少数は 1,453 人らしい。

大きな災害の後は、心理的な影響からか、婚姻率や出生率は下がる傾向にあるらしい。

2011 年 3 月 11 日は、我々にとって、忘れられない日だが、日々、多くの人が生まれ、多くの人が亡くなっている。

何気なく過ごす 1 日だが、その積み重ねが過去であり、現在であり、未来へと続く。

災害に勝つ術を我々は持っているわけではない。

貴方は自身の非難場所を知っているだろうか?

地震、津波、台風、土石流、がけ崩れ、地滑り、火災、噴火、etc・・・。

2025 年 3 月 11 日、私は出生地である五島に帰っている。

実家からの避難場所は以下のようだ。

五島の実家の避難場所

Google Map で見てみよう。

Google Map 避難場所

一番近い避難場所は、私の母校である五島市立緑ヶ丘小学校である。

しかし、私の父親は、とてもじゃないが、歩いて 14 分の距離を歩ける体力はない。

幸い実家は、地震、津波、土石流、がけ崩れ、地滑り等とは無縁の地域ではあるが・・・。

南海トラフ地震や首都直下地震が叫ばれている現在、自然災害に抗える最低限の知識を準備して、日々を明日へ繋げられるようにすべきではないだろうか?