前回の続き・・・。
前回に続いて、内閣府から発表されている「都道府県別地震被害想定概要集」と実際に起きた能登半島地震を比較してみる。
液状化現象についても被害想定が行われている。
ただし、これは今回発生した能登半島北部沖を震源としたものではなく、加賀平野を震源としたものである。
被害想定図を見てみよう。
今回の能登半島地震で液状化現象が確認された地域を確認してみよう。
能登半島地震で液状化が想定される地域で液状化現象が確認されている。
ただし、上の想定図はあくまで加賀平野を震源としたもので、能登半島北部沖ではない。
加賀平野震源の地震想定では、家屋被害は、全壊 16,843 戸、半壊 37,002 戸、火災 3,854 戸となっている。
現実の被害状況は、全壊 8,783 戸、半壊 9,702 戸、火災 11 戸である。
もし、加賀平野を震源とする同規模の地震があったとしたら、いったいどれだけの被害が出るのだろうか?
今頃になって、石川県は、石川県が想定される地震として地域防災計画に示していたのは 27 年前のもので、今回の地震よりも規模が小さく、「ごく局地的な災害で災害度は低い」と評価していたことを認めている。
令和元年に修正提出されている『石川県地域防災計画』がある。
そこには、石川県及びその周辺での地震の発生状況として以下のように記載されている。
「石川県に被害を及ぼす地震は、主に陸域の浅い地震である。
歴史の資料で知られている主な浅い地震は、金沢市から加賀市付近にかけての地域や能登半島、更には、それら地域の日本海沖合で発生している。
県内のどの地域も、約 100 年に 1 度の割合でかなりの規模の地震被害を経験しており、県全体としては、 30 年に一度の割合で被害地震が発生している。
県都が被害を受けた直下型地震の例としては、 1799 年(寛政 11 )の金沢地震( M6 )がある。
人的被害が最も大きかった例としては、 1948 年( 昭和 23 )の福井地震( M7.1 )がある。
また、最近の被害地震としては、 1993年(平成 5 年)の能登半島沖地震( M6.6 )、 2007 年( 平成 19 年)の能登半島地震( M6.9 )がある。
この地域では、将来も同程度の直下型地震が発生する可能性があると指摘されている。
また、富山湾から新潟沖・秋田沖・北海道南西沖にかけての日本海東縁にも大規模な地震が頻発する地帯があり、そこで発生する津波が数年から数十年ごとに能登半島沿岸を襲い、被害が生じている。」
更に、既往地震とその被害が以下のように記載されている。
「石川県は、有感地震の数が全国的にも少ない地域である。しかし、平均して 30 年に 1 度は、被害地震が発生している。」
この一覧を見て分かるように石川県が被害を受けた地震で震度 4 以上の被害を受けたのは以下の通りだ。
2007 年(平成 19 年)能登半島地震・・・最大震度 6 強(輪島)、最大震度 4 (金沢)
2000 年(平成 12 年)石川県西方沖地震・・・最大震度 4 (輪島)
1993 年(平成 5 年)能登半島沖地震・・・最大震度 5 (輪島)、最大震度 4 (金沢)
1985 年(昭和 60 年)能登半島地震・・・最大震度 4 (輪島)
1964 年(昭和 39 年)新潟地震・・・最大震度 4 (輪島)
1952 年(昭和 27 年)大聖寺沖地震・・・最大震度 4 (輪島)
1948 年(昭和 23 年)福井地震・・・最大震度 4 (金沢)、最大震度 4 (輪島)
1944 年(昭和 19 年)東南海地震・・・最大震度 4 (輪島)
1933 年(昭和 8 年)七尾湾地震・・・最大震度 4 (輪島)
1892 年(明治 25 年)能登南西部地震・・・最大震度 4 (金沢)
1891 年(明治 24 年)能美地震・・・最大震度 4 (金沢)
この中で石川県の被害が大きかったのは、平成 19 年能登半島地震だけなのである。
この地震の被害状況は、以下のようだ。
能登半島地震による石川県内での被害
・人的被害:死者 1 人、重傷者 88 人、軽傷者 250 人(合計 339 人)
・住家被害:全壊 686 戸、半壊 1,740 戸、一部損壊 26,959 戸(合計 29,385戸)
・非住家被害: 4,484 棟
この状況を鑑みると、専門家が被害想定を低く見積もるのも肯けないでもない。
石川県の災害危機管理アドバイザーを務める神戸大学の室崎益輝名誉教授は、「被害想定が甘かったため、実態とかけ離れて、必要な物資やマンパワーが手に入らないということにつながった。被害想定を作るプロセスに関わっていた私にも責任があり、想定のあり方を考え直さなければならない」と語っている。
次回へ・・・。