前回の続き・・・。
根浜海岸を後にした私は、国道45号線に引き返し、釜石市唐丹町にある津波記憶石第3号を目指した。
車を走らせること、約20分・・・。
国道45号線から離れ、海岸線へ向かっていくと、津波記憶石第3号が、海を見下ろして、建っていた。
釜石市唐丹町は人口2100人、956世帯の漁村。
今回の大震災では防波堤・防潮堤などが破壊され、津波は低地の集落を襲い住宅の3分の1が全・半壊、死亡・行方不明者22名、唐丹駅は水没、海辺に位置した市立唐丹小学校は全壊、唐丹中学校校舎も一部破損した。
幸いにも唐丹小学校児童68名、中学校生徒54名は高台に避難をして難を逃れた。
今回は、明治の津波祈念碑、昭和の津波祈念碑と並べられて、平成の津波記憶石として設置されていた。
碑には、小学4年生から中学3年生までの子供達91名と併せて、大人4名の津波に対する学びと教えを自分達の心の言葉で残されていた。
少し、紹介しよう・・・。
『3月11日、東日本大しん災で、
多くの命が犠牲になりました。
でも、ぼくたちはまけません。
だから、みんなで一歩一歩、前進して行きましょう!』
O.S 小学4年
『つなみてんでんこ
自分で自分の命をまもれ。
じしんが来たらすぐ高い所へ。』
S.Y 小学4年
『こどもたちへ。
ここからしたでは遊ばないように。
大人達へ。
じしんが来たら高台へ逃げるべし。』
O.K 小学5年
『すべてを失い、気づいたコトそれは、
人とのつながり。』
I.M 中学2年
『津波は悪いことばかり残したわけじゃない。
精一杯生きる意味を教えてくれた。』
M.M 中学2年
実際には碑にはイニシャルではなく、実名が刻まれているのだが、考慮の上、イニシャル表記にしている。
当初は、審査をして優秀作品を選び、津波記憶石に刻むと考えていたらしいのだが、作品を見、読んだ時、審査など出来ないと思い全員のメッセージを、津波記憶石に刻み込んだらしい・・・。
選者のことばを借りれば、「こんなに心に残るメッセージを小学生が書けるのだろうかと思うほどの言葉」らしいが、私も4年にわたり、東北入りしているが、確かに、子供の強さを実感している。
そして、根浜海岸と同様に、QRコードが貼り付けられ、震災時の唐丹町の様子が見られるようになっている。
QRコードが読み取れない場合は下記サイトへ・・・。
http://tsunami-ishi.jp/kamaishi-touni/
そして、例の如く、経を上げる。
唐丹町を後にして、再び、国道45号線を南下する。
そして、毎回、不思議な現象が起こる陸前高田市へと入る・・・。
道の駅高田松原、愛称は陸前高田シーサイドターミナル(タピック45)に到着する。
すると、今までになかった施設が出来ている。
復興まちづくり情報館と東日本大震災追悼施設、それに、一本松茶屋・・・。
復興まちづくり情報館には、震災前の状況、震災の状況、緊急対応期の状況、復旧・復興の状況、現在の陸前高田市の状況が分かるパネル等と松原に残っていた被災松の根飾られていた。
東日本大震災追悼施設には、たくさんの献花と千羽鶴が・・・。
団体客がいたのだが、しばらくするといなくなったので、お経をあげる・・・。
これらの施設は、平成26年8月6日に作られたものらしい・・・。
陸前高田については、もう少し触れたいので、次回へ・・・。