世の中には不思議な話があるもので・・・。
今回は抗酸化とは関係無いようで、関係のある話を寄稿してみようと思う。
実際に、私が体験した不思議な話である。
場所は陸前高田市・・・。
オカルトやら超自然やらと毛嫌いする人は、スルーしてもらって構わない。
私は、東日本大震災以降、4度東北入りしている。
一度目は、震災から3週間程経過した4月上旬。
まだまだ、行方不明者の捜索、あるいは御遺体の回収作業が遅々として進まない状況だった。
岩手から海岸線沿いに南下して、震災の凄まじさを改めて実感した。
そんな中、一番、衝撃を受けたのは、陸前高田市に着いたときである。
建物という建物が消失し、生活道路さえ流されていたのである。
当然、先に進むには、迂回に迂回を重ねなければいけない。
山間部に入ったり、海岸線に戻ったりするのだが・・・。
先に進み、気仙沼へ行こうと思うのだが、何度も陸前高田市に戻ってしまうのだ・・・。
一度目の訪問では、そこで生きていた人たちのことを考えると、とてもではないが、シャッターを押すことは出来なかった。
出来るだけ、目に焼き付けるのみで、余り写真は撮らなかったのだが、それでも、各市各町で一度はシャッターを切っておいた。
しかし、帰って確認すると、何故か、陸前高田市の写真だけが見あたらない???
二度目は、震災から6ヶ月近く経った9月上旬。
今度は、初日に福島へ行き、二日目に高速で岩手まで北上し、海岸線沿いを仙台まで南下するコースを選んだ。
陸前高田市に着いて、何故か惹かれるように市民体育館へ・・・。
何だか落ち着かない・・・。
帰って調べたら、ここは、災害時の避難所になっており、約300人が避難したらしいのだが、約100人が亡くなり、残りの200人は行方不明で、数人しか助からなかったらしい・・・。
三度目は、震災から1年が経った4月上旬。
陸前高田市で起きた不思議なことは、以前にブログでも取り上げた。
ぬかるみにはまり車が動かなくなり、デジカメの保存箇所が時系列に反した場所に移動していた・・・。
そして、今回、震災から丸2年が経ち、再度、陸前高田市を訪れた。
それまでは、普通に使えていた携帯電話が使えなくなってしまった。
スマートフォンは正常に作動しているのに、何故だか、携帯電話だけ圏外に・・・?
アンテナが立って、復活したかと思い、試しに、自分のスマートフォンへ電話するが、すぐに通話終了という画面に切り替わり、再び、圏外の表示へ・・・?
これが、東北に行っている間、仙台空港で飛行機に乗るために電源OFFにするまで、ずっと続いていた。
ちなみに、大阪伊丹空港に着き、飛行機を降りて、電源ONにすると、普通に使えるようになっていた。
実は、これだけではない・・・。
私に影響を受けて、東北入りをした新潟抗酸化工法のメンバーでもある菊△さんも不思議な体験をしている。
以前、ブログで抗酸化燃費向上剤実験報告の紹介をしたときである。
車で移動中、陸前高田市を通り過ぎると、事前に買っていたお菓子が無くなっていたというのである。
それも、一度でなく二度目に行ったときも起こったらしい・・・?
しかし、何故、陸前高田市だけで、こんな現象が起きるのだろうか???
私は、多分、私に何かやらねばならないことがあるのだろうと考えている。
こんな話をすると、気のせいだとか、偶然の一致とかで済ませる方もいると思う。
私自身、何故だか、抗酸化に携わるようになり、身の回りで不思議な現象が頻繁に起こるようになった・・・。
抗酸化の話も、初めて聞けば、眉唾な話に聞こえるかも知れない・・・。
しかし、目の前で起こった現実を否定することは容易ではない。
私は、ご託を並べる前に、自分で行動して、自分で答を探る人間でありたいと思う。