前回の続き・・・。
前回、特に日本に関係ある大豆に関して、特記したが・・・。
当時のアメリカは、トウモロコシ・大豆では、世界最大の生産国であり、輸出国だった・・・。
小麦に関しては、旧ソ連の生産量がアメリカを大きく上回っていたが、輸出量では、アメリカが2位のカナダを2倍以上引き離すダントツの輸出国であった。
その背景には、第2次大戦後、無傷で残った国土で最新鋭の大型農業機械を導入し、生産性を急速に高めたからである。
そして、アメリカは、穀類取引に於いて、世界で常に「ラスト・リゾート」(頼みの綱)とみなされていた。
しかし、前述したよう、旧ソ連の穀物大量買い付けにより、情勢は一変してしまう・・・。
そこで、ニクソン大統領政権下のアール・ラウアー・バッツ農務長官は、これまで執ってきた連邦政府の農業政策を刷新し、ニューディール政策時代に作られた農業支援プログラムの多くを見直すのである。
それまでのアメリカは、供給を限定し、作付面積をコントロールすることで、農作物の価格を守るという政策をとっていた・・・。
どこかの国の減反政策みたいだが・・・( ̄▽ ̄;)アハハ…
What we want out of agriculture is a plenty of food. That is our drive now.
(今必要なのは、大量の食糧だ。これが今の目的だ。)
と言う、バッツ農務長官の言葉の下、1973年、農民に対して、「拡大せよ、拡張せよ」というスローガンを掲げ、特にトウモロコシのような「土地を囲うフェンスの端から端まで」栽培できる農作物の生産を要求し、大量生産へと舵を切るのである・・・
当然、供給過剰となったトウモロコシの価格は下がるのだが、政府からの助成金を出すことで農民の生活を支えるのである・・・。
これらは、当ブログで紹介した、『キング・コーン』内で紹介されている・・・。
キング・コーンを紹介したコラムがあるので、興味のある方は、見てみると、結構面白いと思う・・・。
http://tens-life.com/2012/07/12/kingkorn/
そして、アメリカがトウモロコシの増産に踏み切ったもうひとつの背景がある・・・。
それは、キューバ革命である・・・。
キューバ革命に関して、詳しく解説するとなると、かなり複雑になり、私的感情も入りそうなので、外務省による「わかる!国際情勢」Vol45キューバの選択~カストロと社会主義編を参考にして欲しい・・・m(_ _)m
そこに到る経緯だけをかいつまんで解説する。
キューバは、1492年10月27日、コロンブスに発見され、スペイン人による征服・統治される。
その後、スペインの植民地が進み、砂糖産業が盛んになり、1840年代、世界最大の砂糖生産地となる。
1898年起きたアメリカ合衆国とスペインの間で起きた米西戦争で、スペインが敗北したことにより締結されたパリ条約において、1902年5月20日、キューバ共和国は独立をする。
400年に及ぶスペイン支配から解放されたキューバだったが、アメリカ合衆国による新たな支配の始まりとなり、キューバ革命へと繋がっていくのである。
1840年代には、世界最大の砂糖生産地だったことを記したが、1860年には、キューバでの砂糖生産は世界の4分の1を占めるまでになる。
キューバ革命後の1980年代でさえ、キューバの砂糖生産量は800万tを超えて世界第3位、輸出量は700万t前後で世界第1位だったほど、キューバは、国際砂糖価格に大きな影響力を持っていた。
キューバ革命前のキューバの国際収支は、総輸出の60%・蘇輸入の75%をアメリカが占めていた・・・φ(.. ) メモメモ
砂糖の甘蔗製品に関しては、輸出総額の80~90%を占めていた・・・。
逆に返せば、アメリカは砂糖等の輸入をキューバに依存していたことになる・・・(o・。・o)アッ! ソウカ!!
アメリカは、1960年7月には対抗策として、キューバの最大の産業である砂糖の輸入停止措置を取り、1961年1月3日にはキューバとの国交断絶に至ったのだが・・・。
この後、全世界は、キューバ危機という米ソ衝突による核戦争驚異にさらされるのだが、これは、またの機会にお話しすることにする・・・。
次回へ・・・。