前回の続き・・・。
小沢慧一氏著『南海トラフ地震の真実』によると・・・。
南海トラフ地震 30 年内発生確率 70 ~ 80% の予測をはじき出す『時間予測モデル』の提唱者は島崎邦彦東大名誉教授が元とされている。
島崎氏は、南海トラフで初めてモデルで計算した確率を発表した 2001 年当時、地震調査委員会で長期評価部会長という要職を務めていたそうだ。
『時間予測モデル』の基礎データとして引用された論文は、旧東京帝大の今村明恒教授のものらしい。
そして、この今村氏が参考にしたデータが土佐藩から室津港を管理する「湊番」に任命されて久保野家の古文書となるそうだ。
しかし、素人目で考えても分かると思うのだが、現在の測量技術と江戸時代の測量法を同じ土俵で考えて良い物だろうか?
しかもこの久保野家の古文書は、久保野家の子孫にあたる一般民家でタンスの中に埋もれていたというのだから驚きだ。
この今村氏の発見から約 50 年後、島崎邦彦東大名誉教授らの論文に引用される「時間予測モデル」として知られる理論の根拠となっているというのだあから驚きだ。
そして、案の定、小沢氏は、室津港の隆起モデルとなった古文書を調べていくうちに、様々な矛盾を感じ、それに紐づく資料を専門家と解き明かして行く過程で「室戸港沿革史」という古文書に行きついたそうだ。
これによると、室津港は、地震の度に海底が隆起し、船が港内に入ることが出来なくなり、その為、掘り込み工事が度々行われていたそうだ。
古文書に含まれていた絵地図は 1679 年の港のしゅん工当時の水深も記録されていたらしい。
そこに記された最も深い場所と比べても、同じ古文書にある 20 年ほど後の「宝永地震( 1707 年)前」と書かれた水深の方が 2m 近く深いことになっている。
大潮小潮の差などを考慮しても説明できない大きな変化であり、常識で考えれば、竣工後も、常態的に掘り込み工事がされていたことをうかがわせるものである。
前回、ご覧いただいた『時間予測モデル』をもう一度見て頂こう。
これらが全て矛盾してくることになるらしい・・・(笑)。
しかし、何故、詳しく掘り下げれば分かるようなことが、一新聞記者のスクープになるほど隠蔽されてきたのか?
基本、地震の発生予測は、地震調査研究推進本部(本部長・文部科学相)の地震調査委員会の下部組織、海溝型分科会で地震学者が出し、上部組織で決定することになっているそうだ。
2012 年の分科会では、地震学者たちは、「信頼性を高めるため、算出方法を統一するべきだ」と唱え、『時間予測モデル』で算出された発生確率 70% から『単純平均モデル』で算出された発生確率 20%へと大幅に下げられる見通しとなったらしい。
ところが、‟大反対が巻き起こった”という・・・。
えっ?
どこから?
防災学の側から激しい反発が起きたと言うのだ。
「南海トラフは備えを急がなければならない。(防災の)理解を得るためには発生確率が高い方がいい」
もし、発生確率を下げると・・・
『税金を優先的に投入して対策を練る必要はない』
『優先順位はもっと下げてもいい』
科学をベースにするため引き下げたい「地震学」側 vs 予算確保のために現状維持を諮る「防災学」側という構図が出来上がったようだ。
地震学側の海溝型分科会事務局の吉田康宏地震調査管理官(当時):
「南海トラフは、実は他の海溝型の地震、あるいは活断層とは違う方法で確率を算出しています。その算出法は科学的に見てもいろいろ問題があるので、もうやめた方がいいのではないかという議論も出ています。他の地震と同じ算出方法による 20% 程度が今の科学的知見から一番妥当性がある。」
防災学側:
「私たちは、もうさんざん高確率を導く時間予測モデルで頭を洗脳されているんですよね。多分そういう人が世の中にはすごく多いはず。確立を下げた場合、ものすごい混乱を社会に引き起こす。やっぱり防災対策がこれまで進んできたことと、高確率の算出式を覆すだけの根拠がないのであれば、その方が国民にとってわかりやすいんではないでしょうか?」
そこで、反発を予測していた吉田管理官は、公表の際の落としどころとして・・・
- 確率は表示しない
- いま一番正直な新しいモデル 20% のみを表示する
- 20%と従来の時間予測モデルを両方採用する
- 新旧いずれかを主表示にして、もう一方は※印として表示する
この四案を提案したそうだ。
しかし、結果として、「低い確率を正直に出すべきだ」と訴えた地震学者らの主張は、国の予算獲得や防災意識の低下の懸念を理由に高確率を維持すべきだという防災学者らの主張に押し切られた形になる。
皆が知っている南海トラフ地震の 30 年発生確率 70 ~ 80% ということが定着していくと言うことになったらしい。
次回へ・・・。