真実の口 1,795 Coffee Brake 34 【水島新司・前編】

漫画家の水島新司さんが  10  日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。

82 歳だった。

コロナ禍の 2020 年 12 月 1 日、同日付で 63 年間の漫画家生活から引退することを発表していた。

最終作は 2018 年 8 月に発表した『あぶさん』の読み切り作品だった。

幅広い世代に愛された、誰もが知る野球漫画化の第一人者だ。

「ドカベン」、「あぶさん」、「野球狂の詩」等々、ヒット作は数知れない。

18 歳で漫画家デビューし、 1970 年、ストレートしか投げない豪腕投手の藤村甲子園を主人公にした『男どアホウ甲子園(週刊少年チャンピオン)』で人気を得た。

1972 年には、『野球狂の詩(月刊少年マガジン)』の読み切り不定期掲載が始まり、『ドカベン(週刊少年チャンピオン)』の連載が開始された。

1973 年には、『あぶさん(ビッグコミックオリジナル)』の連載が開始された。

どの漫画にも個性が強い登場人物が描かれていた。

『野球狂の詩』は、プロ野球セ・リーグに所属する球団東京メッツの、 50 歳を超えたよれよれ投手・岩田鉄五郎を主人公にした人情派(?)野球漫画だった。

【東京メッツ】

★岩田 鉄五郎(いわた てつごろう)

野球狂を謳う球界の至宝。「球聖」の異名を持つ。オーナーにも食って掛かり喧嘩できる人物である。 204 勝 404 敗 8 Sという偉大な記録を持つ。若い頃は球界一の剛速球を投げていたが、現在はほとんど 130km/h 前後。また、超遅球と呼ばれるスローボール「ハエ止まり」が得意変化球。作中の設定では、日本球界でフォークボールを投げた投手第 1 号となっている。 53 歳の時のエピソード「ズタズタ 18 番」では引退を飾るべく控えピッチャー全員をベンチから外し 9 回完投するが 53 失点、投球数 688 という記録を樹立(試合後、引退を撤回)。

★五利 一平(ごり いっぺい)

現役時代は捕手。戦後まもなくの強打者で、本塁打 178 本、打率 .308 、打点 976 。引退後は監督・コーチを歴任し、監督として 3 回以上の優勝歴がある鉄五郎の盟友である。

★国立 玉一郎(くにたち たまいちろう)

「スラッガー藤娘」と呼ばれる強打名守の三塁手で、メッツの主砲。歌舞伎の名門国立屋の七代目、女形役者でもある。

★火浦 健(ひうら けん)

メッツの不動のエース。北海道出身で、人呼んで「北の狼」。育ての親でを殺した暴力団組長に報復し、傷害罪で 2 年間服役後、テスト入団でメッツ入り。

★岩田 清志(いわた きよし)

鉄五郎の娘・塁子と結婚し、岩田家の婿養子。入団からわずか 6 年で連続 20 勝を挙げ、通算 152 勝挙げている右の下手投げ投手。火浦健の入団までは、メッツ投手陣の屋台骨を支える大エースだった。

★千藤 光(せんどう ひかる)

高校時代にノーヒットノーランを 2 回記録し、甲子園決勝戦を完全試合で優勝に導き、 1972 年メッツにドラフト 1 位で入団。投手としてだけでなく、強打と俊足を生かして走・攻・守に派手なパフォーマンスを得意とする「ショーマン投手」。

★島 小太郎(しま こたろう)

プロ入り 11 年目から 15 年目まで相手先発投手の左右を知るための「あて馬(偵察要員)」としての出場のみという長い雌伏の時を経て、 33 歳でレギュラーになった二塁手。 5 年間もの「あて馬」生活中も常に用具の手入れを怠らず、いつでも出場できる状態を保つなど、鉄五郎をして「 18 (鉄五郎の背番号)と並んで 3 (島の背番号)も欠番」と最高級の賛辞を贈らせた選手で、「野球は魂でやるんだ」の名ゼリフを残した。

★野呂 甚久寿(のろ じんくす)

外野手(主に中堅手)。両投両打。飄々とした風貌で、グリグリ眼鏡のド近眼。彼の「ジンクス」はもはや超能力か預言の域で、五利監督らメッツナインを騙して無理やり倉庫に監禁し、それによって彼らの命を飛行機墜落事故から救ったエピソードもある。

★虎谷 虎之介(とらたに とらのすけ)

強打だが痔疾の捕手。 1973 年、勝った方が優勝の試合に持病のいぼ痔で欠場するも、医師である兄の指示で、鉄五郎がいぼ痔を尻の中に強引に押し込める荒療治を受けて代打出場し、阪神・江夏豊から代打サヨナラ優勝本塁打を打つ。

★日の本 盛(ひのもと さかり)

投手、右投右打。野球よりも酒が好きな男。酒なしならエース級の実力を秘めた主戦ならぬ酒仙投手。ナインは何とか酒を取り上げようとするが、様々な小細工でマウンドに酒を持ち込み試合中でも酒を飲もうとする。ピンチを迎えたマウンド上で酔いつぶれて寝込んでしまうこともしばしば。

★水原 勇気(みずはら ゆうき)

1975 年ドラフト 1 位、女性初のプロ野球選手。左のアンダースロー。「ストレート変化球」や魔球「ドリームボール」をキメ球にストッパーとして活躍。ストッパーとして、勝ち試合の 9 回 2 アウト 2 ストライクからの「 1 球限定」起用が多く、「ドリームボール」のみで王、谷沢、シピン、田淵、若松、衣笠という当時のセの強打者たちをしとめた。

【他球団のライバル】

★力道 玄馬(りきどうげんば)

阪神のメッツキラーの投手。彼専用の不気味な応援歌(阪神の球団歌「六甲おろし」の替え歌)を携え、相手を供養する意味を持つという数珠を手にして登場する。

★王島大介(おうしまだいすけ)

阪神の一塁手。人呼んで「南の虎」。自分と同じ年に東京メッツに入団した火浦健とは不思議と相性が良く、火浦が次にどんな球を投げてくるのか何となく分かったため、「火浦キラー」と呼ばれていた(逆に狙いを読まれて打ち取られたことも多かったという)。その火浦とは幼い頃に生き別れた双子の兄弟であり、火浦が兄の一郎、王島が弟の二郎だった。

★海王神人(かいおうかみと)

大洋の外野手、右投右打。本塁打連発の神がかり的な打撃と守備で最下位大洋の 15 連勝に貢献する。岩田武司が高熱を出して意識不明となった際、何故か見舞いに訪れた海王が手を握ったら意識が回復したり、手の汗を残飯にかけておいしくするという、正体不明の神業も持つ。

【その他の関係者】

★秀吉三郎(ひでよしさぶろう)

鉄五郎とは旧知のベテラン審判。野球のルールブックを自認する「コンピュータ審判」だったが目の病がもとでミスジャッジ、放棄試合を招き即日引退を決意する。しかし鉄五郎の計らいで最後のグラウンドに立つこととなり秀吉は野球人生に悔いを残さずに引退する。

★犬神(いぬがみ)

プロ野球連盟総裁。『野球狂の詩』世界での野球機構最高権力者。水原入団の最大の壁であったが、阪神とのオープン戦での水原の力投を目にして、野球協約に追加事項を加え入団を認めた。

これだけの情報だけでも当時読んでいた漫画が蘇るのだからいあやはや凄いものだ。

時系列的には、『ドカベン』が先なのだが、高校野球編から続編『大甲子園』、『ドカベン プロ野球編』、『ドカベン スーパースターズ編』、『ドカベン ドリームトーナメント編』と完結するまでに、全シリーズを含めた総巻数は 205 巻で、シリーズ累計としては作品終了時点で日本で最も巻数の多い作品となっており、私の思い入れも強いので、後編に回すことにする。

『あぶさん』は、 1973 年から 2014 年 4 号まで『ビッグコミックオリジナル(小学館)』にて連載された酒豪の強打者・“あぶさん”こと景浦安武主人公とする( 2014 年 2 月の終了時点では)日本で最も長く連載が続いたスポーツ漫画である。

『あぶさん』の世界は現実のプロ野球の流れと関連しているため、その時々のプロ野球の出来事と比較しながら読む楽しみ方もできる。

現実の選手が登場したり、現実のペナントの結果によって漫画の展開も変わったりしている。

“あぶさん”こと景浦安武は、 1946 年 12 月 17 日生まれの新潟県新潟市出身。

その通称は、非常に強いリキュール「アブサン( Absinthe )と名前の音読み(安武→あぶ)に由来する。

南海・藤原満氏、ロッテ・有藤道世氏、阪神・田淵幸一氏、広島・山本浩二氏らと同期である。

“あぶさん”の陰に岩田鉄五郎あり(笑)。

ただし、野球の詩の岩田鉄五郎とは同姓同名・顔も一緒の別人(笑)。

両者の初めての出会いは岩田鉄五郎 35 歳、景浦安武 15 歳の時だが、この年齢差は第 1 回での登場時とは明らかに矛盾する(笑)。

牛乳配達のアルバイトをしていた景浦と牛乳を売るか売らないかの問答から喧嘩になり、それなりに自信のあったらしい景浦をまるで問題にせず退けた。

しかし、売り物の牛乳をすべて叩き割っても自分の意思を押し通した景浦に、ただならぬものを感じた様である。

景浦もまた、彼が新潟北明高校野球部の監督に就任すると知ると、彼を追って同校へ入学する。

ただし、呑兵衛で、高校時代に二日酔いで地方予選・決勝戦に出場し、酒の臭いをニンニクで隠して飛距離 155m 以上のサヨナラ本塁打を放つが、ベースランニング中の嘔吐で飲酒がバレてしまい、優勝は取消しとなる。

景浦が他校生徒とのケンカが原因で高校を中退した後、鉄五郎も酒がらみのケンカで北明高を懲戒免職となり、南海の川勝傳オーナーの友人の紹介でホークスのスカウトに就任。

景浦は、社会人・野花食品を経て北大阪電気に進むも、試合中のプレーをめぐって監督とトラブルになり、懲戒免職。

南海は 1972 年のドラフト会議で六大学のスラッガー・大伴を 1 位指名するも、入団を拒否し社会人野球・北大阪電機へ進もうとするが、その北大阪電機に消息を絶っていた景浦がいると聞き、酒の飲みすぎで体を壊し、長期入院中だったが、医師に「最期の大仕事だから」と説得して一時退院して景浦の行方を追い、「大虎」で景浦と 8 年ぶりに対面する。

居酒屋「大虎」でヤケ酒を飲んでいたところを、南海スカウト・岩田鉄五郎に熱心に誘われ、1973 年にドラフト外で南海ホークス(後の福岡ダイエーホークス、福岡ソフトバンクホークス)に入団。 26 歳。

ポジションは外野手。

長打力を買われてのプロ入りだったが、インコース打ちに天性の強さを見せる一方アウトコースに弱点があり、当初はいわゆる 1 軍半に甘んじた。

転機となったのは球界を退いていた藤村富美男との偶然の出会い、彼と同じ長尺バット=物干し竿を使い始め打撃開眼し、以降「物干し竿」と「酒しぶき」とともに彼の代名詞となった。

【南海時代】

主に代打の切り札として活躍。生来の酒好きの影響で複数回打席に立つ集中力が持たないという欠点やスタミナ、守備の面に常に不安をかかえていたことや 1975 年の指名打者制導入当初はここ一番のチャンスの切り札としてベンチに置かれた。

1976 年、オールスター初出場。

1977 年、義弟・小林満日ハム入団。 30 歳。
・巨人・王貞治氏がハンク・アーロンの記録を破る通算 756 本塁打達成。

1978 年、うどんのCMに出演(笑)。
・日本初の屋根付き球場東京ドームが完成。
・西武鉄道グループ国土計画がクラウンライター。ライオンズを買収

1979年、門田博光のアキレス腱断裂によりスタメンとして開幕戦( VS 阪急)に出場し、 4 打席連続本塁打のプロ野球タイ記録。新記録となる 5 本目がかかった打席では、山口高志の速球を打ったが打球を顔に当てて退場。
・野村克也氏、ロッテから西武へ移籍。田淵幸一氏、阪神から西武へ移籍

1980 年、大島康徳のシーズン代打本塁打の日本記録を更新。長嶋監督率いる巨人へトレード騒動。
・ドカベン・香川信行氏、南海入団

1981 年、西本幸雄監督の推薦でオールスターに出場し 3 試合連続代打本塁打を打ち、 3 試合連で MVP を獲得。

1982 年、代打だけで落合博満氏と本塁打王を争う。
・西武ライオンズ、リーグ優勝、中日を下し日本一。

1983 年、実際にチームの若返り政策(並びに景浦自身の極度の不振も重なり)で、自由契約。しかし、巨人、西武などが獲得に名乗りをあげ、阪神に至っては年俸の大幅アップで交渉をしたが、結局南海の入団テストを受け 30 代後半とは思えない成績で再入団。
・阪急・福本豊氏がルー・ブロックの記録を破る通算 939 盗塁達成。

1984 年、ロサンゼルスオリンピックの公開競技で全日本チームは金メダル獲得。
・西武・田淵幸一氏と山崎裕之氏が現役を引退。

1985 年、ロッテの村田兆治氏からサイクルヒット。シーズン中 1 回だけ投手として登板し、落合を打ち取り初セーブ。
・阪神 21 年ぶりのリーグ優勝、西武を下し日本一。

1986 年、はじめて 4 番レフトとして常時スタメン出場、落合と本塁打王を分け合う。

1987 年、ファッション誌デビュー(笑)。 40 歳。
・巨人・江川卓氏引退。広島・衣笠祥雄氏がルー・ゲーリッグの記録を破る 2,131 試合連続出場達成。

1988 年、大阪スタヂアムでの南海ホークスとしての最終戦でも惜別のサヨナラ本塁打を放つ。
・西武の東尾修氏 賭博麻雀┐(’~`;)┌

1989 年、義弟・小林満西武移籍。

1990 年、シーズン中に捕手で出場。パンチ佐藤氏オリックスに入団。
・ダイエーホークス監に田淵幸一氏就任。

【ダイエー時代】

福岡への移転時は現役引退か(残留・移籍を含めて)現役続行かの態度を明らかにしなかったが、当時の杉浦忠監督からの同行要請をあっさり承諾する形で現役続行を決意する。まだ福岡ドームも無かった弱小ダイエーの精神的支柱として田淵幸一・根本陸夫両監督を支えた。

1991 年、ダイエーの 4 番レフトとして自身初の全試合フル出場、史上最高齢での三冠王を獲得。打率 .327 、本塁打 43 本、打点 110 。

1992 年、シーズン序盤に腰椎椎間関節症で出遅れるも 2 年連続三冠王。打率 .339 、本塁打 45 、打点 103。
・ダイエーホークスの本拠地が平和台球場から福岡ドームへ移転。

1993 年、開幕戦で好調なスタートを切り最後まで義弟の小林満と首位打者争いを繰り広げ、最終打席に野茂英雄(近鉄)からレフト線にツーベースヒットを放ち 3 年連続三冠王。打率 .340 、本塁打 46 、打点 122 。福岡ドームのメモリアル 1 号本塁打を記録(実際は日本ハムのリック・シュー)。
・フリーエージェント制( FA )が導入。

1994 年、 1 番打者として活躍し、王貞治の記録を抜くシーズン 56 本塁打を記録。オールスター戦でも 4 打席連続本塁打を記録。本塁打王。
・オリックス・イチロー氏、日本プロ野球史上初となるシーズン 200 本安打達成。

1995 年、本塁打王( 40 本)、打点王( 110 打点)。
・近鉄・野茂英雄氏がロサンゼルス・ドジャースに移籍。 13 勝 6 敗、リーグ最多の 236 奪三振で、ナ・リーグ新人王獲得。
・阪神淡路大震災が発生し、「がんばろう KOBE」を合言に地元オリックスが 11 年ぶりのリーグ制覇。

1996 年、椎間板ヘルニアで長期離脱、以降タイトルからは遠ざかる。この時開幕からしばらくは右打席では痛みが出るため左打席で試合に出場している。しかし、ある試合で右打席に立ち走塁しようとしたところで痛みが起き、以後欠場。オールスター戦直前の二軍戦で復帰するが、オールスター戦にて再び痛みがぶり返す。結局本格復帰したのは最終戦の西武戦だった。

1997 年、 50 歳。
・ナゴヤドーム、大阪ドームが完成。

1998 年、義弟・小林満が FA 移籍してきたため三塁手として出場機会が増える。
・松坂大輔氏、西武入団。

1999 年、右翼手として出場機会が増える。 26 年振りのリーグ優勝+日本一。 102 打点。
・西武ドーム完成。

2000 年、リーグ優勝:V2。日本シリーズで巨人に敗退。

2001 年、開幕戦において野村克也につぐ史上 2 人目の 3,000 試合出場を達成。
・札幌ドーム完成。シアトル・マリナーズのイチローがア・リーグ新人王・MVPに輝く。

2002 年、シーズン終了時通算 700 本塁打ぐらい?(水島新司談)・・・(笑)
・巨人・松井秀喜氏がニューヨーク・ヤンキースへ移籍。総額 2,100 万ドル(当時約 25 億4,100 万円)の 3 年契約。

2003 年、リーグ優勝+日本一。 本塁打 26 + α 、打点 112 + α 。

2004 年、打率 .290 本塁打 32 、打点 91 。
・マリナーズ・イチロー氏がジョージ ・シスラーの記録を破り、シーズン 262 安打を達成。
・球団統合問題に端を発し、選手会が史上初のストライキを決行。

【ソフトバンクホークス時代】

2005 年、打率 .290 本塁打 29 打点 81 。
・セ・パ交流試合が始まる。

2006 年、若手に守備機会を与えるために外野の守備からはずれ、 DH の 6 番として出場が増える。
・ワールド ・ベースボール・クラシック( WBC )で王貞治監督率いる日本代表が優勝。
・西武・松坂大輔氏がレッドソックスへ移籍。総額 5,200 万ドル(当時約 60 億円)の 6 年契約。

2007 年、物干し竿から普通のバットに持ち替え、史上初の4割達成。打率 .401( 456 打数 183 安打)。 60 歳。
・セ・パ両リーグの上位 3 チームが日本シリーズ出場を争うクライマックスシリーズが始まる。

2008 年、代打に原点回帰。王監督の退任に伴い、現役引退する意思を一時は王監督に伝えたものの慰留され、 2009 年度も現役を続行することとなる。

2009 年、現役最後の打席は 10 月 6日 のオリックス戦で、 2 対 2 で迎えた 9 回裏に代打で登場。同郷の後輩・金子千尋からサヨナラ本塁打を放つ。引退。
・第 2 回 WBC で原辰徳監督率いる日本代表が連覇を達成。

2010 年、王会長の要請で同年シーズン途中より二軍の助監督としてソフトバンクに復帰。
・ヤンキース・松井秀喜氏がワールドシリーズ MVP に輝く。

2012 年、再び王会長の要請で、翌シーズンより一軍の助監督に就任。

2013 年、一軍の助監督。シーズン4位・Bクラスに終わった事に責任を感じ、王会長に退団を申し出る。
・バレンティンが日本プロ野球新記録のシーズン60本塁打を達成。
・楽天・田中将大氏が開幕からの連勝を 24 、前年からの連勝を 28 として、それぞれ日本プロ野球新記録を樹立。

2014 年、退団。 66 歳

『あぶさん』は、現実のプロ野球の流れを採り入れながら、現実のプロ野球選手が漫画に登場する。実際の、主な野球史も青色でリンクさせながら紹介させて頂いた。元来は地味な景浦安武がこと野球になると強靭的な力を発揮し、ロートルと言われる年齢になっても第一線で活躍する姿は、中高年には勇気を与えたのではないだろうか?

次回へ・・・。