前回の続き・・・
東六郷小学校を後にした私は、高速で北上して、多賀城市へ向かった。
JR仙石線多賀城駅前に、今年の3月11日、多賀城市東日本大震災モニュメントが完成していたからである。
車で走ること、小一時間で多賀城駅に着いた。
モニュメントに隣接して設置している表示板には、「東日本大震災の概要」「多賀城市の被害状況」「津波浸水区域図」「モニュメントのデザインの説明」「滅災都市宣言」が書かれていた。
それによると、モニュメントは、2つのアーチと中央の柱で構成されており、ステンレスと御影石を使用。
中央の柱のデザインには国の重要文化財「多賀城碑」が納められている覆屋(おおいや)の格子のイメージが重ね合わられているという・・・。
また、柱の高さは、市内を襲った津波の最大の高さと同じ4.6mで、震災の「記憶」の一部を、モニュメントのスケール感で表現してるいらしい・・・。
そして、モニュメントには扉が設置してあり、犠牲となられた方々のお名前が納められている。
重なり合う2つのアーチは、世代そして時を越えて、決して途切れることなく、震災の「記憶」を次へそしてまた次へと、確実に伝えていく願いを、力強いデザインで表現されているということだ。
流石に、読経するような雰囲気ではないので、亡くなられた方へ手を合わせて、多賀城駅を後にした。
そして、次いで、塩竃市へと向かった。
塩釜港近くにあるモニュメントが目的である。
車を走らせること、約30分、塩釜港に着いた。
モニュメントを探していると、港に面する公園に何やらモニュメントらしき物が・・・?
事前に調べていた物と若干違うようなのだが・・・???
車を降りて、近寄ってみると、塩釜〇ー〇〇ークラブが作ったものらしく、“復興の鐘”というものだった。
柱はステンレス製で高さ3.2m。
鐘の高さがこの地域を襲った津波の高さ2.1mになっているという。
帰ってから、調べたのだが・・・。
三本の柱は、塩竈市(行政)・市民・〇ー〇〇ークラブを意味するらしく、三位一体となって復興を誓う証ということらしい・・・。
更に、柱上部は三方向に開いており大空に向けて「希望」を表現しているということらしい・・・。
折角なので、鐘を鳴らし、犠牲者へ手を合わせる。
そして、本来の目的地である“昇る太陽の塔”を探す。
海岸通りを進むと、モニュメントが見えてきた。
モニュメントのデザインは平成24年10月から全国に公募をかけ、選出された物らしい・・・。
4本の白御影石の石塔を“昇る太陽の塔”、石塔の前の黒い石を“日の出石”、石塔を囲む白御影石の縁石を“時の縁石”といい、太平洋の日の出をイメージした“日の出石”が右肩上がりで昇り、4本の石塔に刻まれた“昇る太陽”へと昇華する時間の移り変わりがデザインされたものらしい・・・。
“日の出石”には、表には復興の願いを込めた未来へのメッセージが、裏面には犠牲になられた方々のお名前が刻まれていた。
「自然の力を 心に刻み 未来を見つめ 塩竈に生きる」
そして、復興支援のため長期に職員を派遣頂いた団体に対して感謝の意を表するため、その功績を後世に伝えていくために、6方向に位置する“時の縁石”には、派遣団体名及び京都市から送られた「「絆」の書」が刻まれていた。
しばらくモニュメントを眺めていたのだが、ふと、疑問が・・・?
“昇る太陽の塔”に「津波の高さ 2.3m」 と刻まれているのだが、“日の出石”には4.8mとある・・・??
そして、この“昇る太陽の塔”の高さは、この地を襲った津波の高さ4.7mとなっているはずなのだが・・・???
何が正しいのやら・・・????
疑問を押さえ込みつつ読経・・・。
次回へ・・・。