化学物質過敏症についての寄稿をしていたが、急を要するので、今回はこれをご報告させていただく。
どこかで聞いたようなタイトルだが、まあ、次元が違うので最後までお付き合い願いたい。
ここから先は、名前を公表していいので、以降は、毎床さんと綴らせていただく。
1月の訪問以後、4月、7月と2度お伺いさせていただいた。
4月に再訪した際は、丁度、梨の花が咲くころを狙っての訪問だった。
以前、紹介した樹齢百余年の二十世紀梨も無事咲いていた。
因みに、このお方が毎床さんである・・・(笑)
1月以降も小松菜で色々と実験をしていたようだが、毎床さん曰く、「えみなは何かが違う。」という位、差別化ができているらしい・・・。
前回、訪れた時には気付かなかったのだが、農村景観大賞を取っているらしい・・・。
『毎床は標高200~300mの丘陵地に位置する集落です。集落内は大部分が棚田状の梨園で、4月初旬には梨の花が集落を埋めつくします。
集落の自慢の一つに宝暦2年(1752)に完成した毎床溝があります。この水路はもともと農業用水として開さくされたものですが、生活用水としても活用され、地域全体で維持管理されています。したがって、水神祭は重要な行事です。
また、山神祭や地蔵祭、毘沙門天祭など地区内では各種の祭が伝統的に行われ、人々の心の拠所となっています。
さらに毎床には梨があります、昭和初期、毎床協蔵氏によって導入された梨は、現在の基幹作目として成長しました。そして、稲穂たなびく棚田と段々畑の梨棚とが、季節によって表情を変える景観とともに、水を守り、農業を中心とした人々の絆の深さは、好ましい農村の姿として認められ、平成2年「第1回熊本県農村景観大賞」を受賞しました。
最近は「梨まつり」も復活し、都市との交流促進に取り組んでいます。』
毎床さんの名前が地名になっている毎床集落だが、元々、大正時代に過疎化を心配した“毎床脇造氏”によって、出稼ぎに行くことなく所得を得るため“梨”が導入され、地区住民の協力で産地化、ブランド化に成功した集落なのだ。
“毎床脇造氏”は、毎床さんの高祖父に当たる人だ。
平たく言えば、ひいひいじいさん・・・(笑)
この“毎床脇造氏”が、大正元年、梨の苗150本を取り寄せて、桐の久保という所に植えたのが始まりだというのだから、毎床さん、スゲェ・・・。
集落内には、毎床脇造氏の碑も造られている。
そして、毎床集落には、全長8kmにもわたる毎床溝という水路が集落を駆け巡っている。
宝暦3年(1753年)から1年5ヶ月を要して造られた毎床溝が、農耕に不向きとされていたこの地において水稲栽培を可能にし、併せて梨の産地化、ブランド化を確立したらしいのだ・・・。
上から見下ろせば、あたり一面、梨畑なのだ・・・。
毎床集落の真向かいには、日本の棚田百選にも選ばれている松谷棚田がある。
非常に、自然豊かなところだ・・・。
7月再々訪・・・。
レンタカーを降りるといきなりライフル音が・・・( ̄□ ̄;)!!
パーン♪
間隔をあけて再び・・・。
パーン♫
電話を掛けると、毎床さんが玄関から顔を出した。
私:「ご無沙汰してます。この音は害獣除けですか?」
毎床さん(以下:毎):「ああ。そうです。」
私:「一日中鳴っているんですか?」
毎:「はい。日の出から日の入りまでは鳴ってますよ。」
私:「結構、響きますよね?」
毎:「慣れますよ・・・(笑)。」
私:「そんなもんですか・・・(笑)?」
毎床さんは、4月以降、更に、色んな実験をしていたようで・・・。
玄関わきにもいくつもの鉢が・・・。
同じ鉢なのに、差が歴然・・・w( ̄△ ̄;)wおおっ!
どっちがどっちか言うまでもないだろう・・・。
こちらも・・・( ̄ー ̄)ニヤリ
梨畑に案内してもらう・・・。
豊水・・・。
そして、これが今冬話題になるだろうマンゴー梨。
更に、面白い実験をしていた。
木の幹を中心に半分はえみなを散布して、半分は無散布・・・。
写真では分かりにくいが、現物を見たら、葉の青々した感じ(右半分がえみな散布)が一目瞭然だった・・・!
更に更に、こんな実験も・・・。
木の幹を中心に左側は無塗布、右側の枝にはえみなと石灰を混ぜて塗布・・・。
実は、これが後日凄い成果を導くとは知る由もなかった・・・。
田んぼでも実験を・・・。
柵を作って、えみなを使った稲と使わない稲の違いを見たかったらしい・・・。
これも写真では分かりづらいが、明らかにえみなを使った方(右の写真)が成長して活き活きとしているのだ・・・。
様々な実験をして、実に、環境回復農法を楽しんでいらっしゃるようだ・・・(笑)
次回へ・・・。