「真実の口」348 訪韓記(’11年11月編)④

4日目・・・11月17日。

この日は、午前中、広州(カンジュ)にある某日本メーカーの現地代理店へ行った。

何でも、ここの社長が、金社長の同級生のお兄さんにあたるらしい。

上で、某日本メーカーの現地代理店と会社名を伏せたのには理由がある。

あまりにも酷い対応で名前を出す価値もないからである。

まあ、とりあえず、金社長の目的は、この会社で抗酸化不織布を作りたいというのが目的ということらしい・・・。

私はいつものように、まず、「工場を見せて欲しいのですが・・・。」というと、「世界でも珍しいナノ技術なので見せることが出来ない」と言う。

そして、席に着くなり、件の社長は、持論を展開し出すではないか・・・ヘ(-′д`-)ゝヤレヤレ..

一つ、何故、見せられないかというと、不織布に関して、日本本社の殆どの製造は、韓国代理店が行っているため、韓国の方が優れた技術を持っている・・・云々。

一つ、日本の企業は古い商習慣に基づいて、日本国内で通用すれば、韓国でも“なあなあ”で通用すると勘違いしている・・・云々。

一つ、日本の企業に成分表示を要求すると、技術を奪われると思われているのか提示しない・・・云々。

(おいおい・・・自社の技術は極秘で、相手企業には全てをオープンにしろってか?)

一つ、韓国では、大統領が替わる度にイメージカラーが変わるので、それに合わせなければ成功しない・・・云々。

(ちなみに、盧武鉉前大統領のイメージカラーは黄色で、李明博現大統領は青色らしい・・・。

私に言わせれば、韓国大統領は、収賄贈賄やクーデターで終焉を迎えるため、前政権の色を払拭しなければいけないからじゃろ?)

一つ、今回の開発に関して、金社長一人が金銭の負担をして努力をしているため、会田総研も力を貸すべきだ・・・云々。

(実を言うと、この会社に着くまで、既にサンプルの製造に入っていることすら聞かされていなかった。

抗酸化溶液を利用した製品の製造に関しては、国内外を問わず、私が許可した工場及び製品でなければ、製造してはならないという規約がある。

つまり、金社長は規約違反を犯していたということであり、会社を出た後にお灸を据えることとなった。)

長々となってしまったが、こんな話を延々一時間以上するのである。

正直に言って、この会社で作っても、“ロクなモノ”も作れないと思い、何度も早く帰ろうと金社長に合図を送るのだが、同級生の兄さんの会社という手前か、なかなか腰を上げようとしない。

とりあえず、「いきいきコートでサンプルを作ったモノを見てみよう」ということで、手に取ってみたはいいが、何の効果も感じない。

通訳の李さんに、「これは本当にいきいきコートを使っているのか確認してくれ」と何度も聞いてしまった。

この会社では、とある島で採取した消臭効果のある成分で、既に不織布を作り、実際に畜産場で利用していると言うことらしい。

社長が言うには、「実験結果で、こちらのサンプルの方がより期待出来そうなので、是非、金社長と一緒に商品化したいので、力を貸して欲しい」と、さっきまでの非礼な発言が身を潜めているではないか・・・?

ははあ・・・要は、さっきまでの発言は主導権を取りたかったことの現われか・・・?

私は、金社長に、「サンプルを持って帰って実験をした上で判断しましょう」という大人の回答をして、早々に工場を後にした。

車中・・・、金社長にお灸を据えたのだが、金社長は金社長で、ショックを受けていたらしい。

通訳の李さんに聞いてみると、「同級生の兄さんなので製造を依頼したのに、金の臭いをかぎつけて擦り寄ってこられると思わなかった」とのこと。

そう言う理由で、この会社の写真も何もない。

ただ、日本本社は大正15年創業の大企業で、グループでの従業員も40,000人に近い。

その韓国での窓口が、この程度の会社とは些か呆れてしまう。

この後、気分転換に、次の目的地の驪州(ヨジュ)へ移動して、“韓定食”を食べることになった。

韓定食

韓国の人は、この料理を食べていれば、病気にならないのに、何故、肉と辛いモノばかりを食すのだろう?

驪州の目的はというと、陶芸でゆうめいな街らしく、金社長の水瓶を作りたいというたっての願いからなのだが、過去の経緯はリンクを貼るので参考にして欲しい。

過去のブログ 其の壱
過去のブログ 其の弐

驪州での陶器の作り方は、分業制らしく、土をこねるのは土の業者、陶器を製造する会社はそこから土を買い、陶器を作ると言うことらしい。

ただ、残念ながら、土を作る会社に行ってみたら、運悪く、社長が近くまで出かけていると言うことである。

驪州の土工場

そこで、時間をずらして、会うということになり、先に陶器を製造する会社へ先に行くことにした。

驪州の陶器工場

ここで、取り上げて、特筆すべき事はないのだが、前回の陶芸家の先生よりはまともなモノができそうである。