前回の続き・・・。
前回、過去の大地震の地震前の発生確率と実際に起きた際の規模や被害を紹介した。
本当に地震の予知・予測は出来るのだろうか?
ゲラー氏の著書には、地震予知研究にとって、発端となった文書が紹介されている。
坪井忠二・東大名誉教授ら地震研究者有志が 1962 年 1 月に発表した「地震予知―現状とその推進計画」というレポートである。
1962年:「地震予知―現状とその推進計画」(地震研究者有志)
通称、『ブループリント』と呼ばれるものらしい。
前文を紹介しよう。
「わが国は古来しばしば大地震に見舞われて、そのたびに多くの人命財産を失ってきた。
大地震は今後も同じように起こるであろう。
しかし、その災害は我々の手で防がなければならない。
地震の予知の達成は国民の強い要望であり、わが国の地震学の絶えまない努力の目標である。
そして、現在までの地震学の研究は地震予知の実用化の可能性を示している。
ただ、これを達成するためには、今後一層の学者及び研究者の弛まぬ努力とともに、国家の本問題に対する深い理解と力強い経済的援助を必要とする。」
ブループリントには以下のような計画が提案されている。
1 ) 測地的方法による地殻変動の調査
☞ 全国規模の水準測量や三角測量を少なくとも5から 10 年間隔で行うことにより、進行しつつある日本列島の地殻変動の様子を捉えることを目指す。
2 ) 地殻変動検出のための検潮場の整備
☞ 海水面は比較的安定した基準面と見なすことが出来るので、全国の海岸で潮位を計測することにより海岸付近における地殻変動も常時監視することが出来る。
3 ) 地殻変動の連続観測
☞ 測地的方法では測定間隔がどうしても長くなるため、伸縮計、傾斜計等の観測装置を整備し、連続観測を行う。
☞ 測地的方法が全国にわたる地殻変動を捉えるのに対し、連続観測では 1 点における地殻変動を連続で計測する。
4 ) 地震活動の調査
☞ 大地震から微小地震に至るまで、幅広い規模の地震活動を把握するために全国に地震計を整備する。
☞ 小さな地震ほど発生頻度が大きいので比較的短時間で全国の地震活動の特徴を把握することが出来る。
☞ もしも微少な地震と大地震との間に関連が見いだされれば直ちに地震予知につながることになる。
5 ) 爆破地震による地震波速度の観測
☞ 地震の前に地震波速度が変化するという報告を検証するために、時刻精度の高い人工地震(爆破)の観測を行う。
6 ) 活断層の調査
☞ 活断層は、過去に何度も地震を発生させた場所なので、過去の地震履歴を知るために活断層を地形学的に調査する。
7 )地磁気・地電流の調査
☞ 地震の前駆現象として地磁気や地電流の変化の研究の数は多い。
☞ しかし、両者を関係づける統計的吟味などが不十分であるため、はっきりした結論が得られていない。
☞ そのため、場所を選定して地磁気・地電流の観測点を設置し、反復測定をする。
これらの提案を見てどのように感じるだろうか?
私は、単純に「金掛かりそうだな~」と思った(笑)。
中身は流石に端折るので気になる方は上のリンクから読んでみて欲しい。
このブループリントの最後に‟期待される成果”というものが記されている。
「規模等級 6 以上の地震を予知の対象とするならば、統計上日本の陸地または陸地に極く近い海中で、目標とする地震は毎年 5 回の割合で起こることになり、そのうち破壊地震は毎年約 1 回になる。
従って、本計画による数年間の観測資料蓄積によっても、目標とする地震の発生と観測された現象との関係を明らかにできる公算は大へん大きいと言える。
地震予知がいつ実用化するか、すなわち、いつ業務として地震警報が出されるようになるか、については現在では答えられない。
しかし、本研究のすべてが今日スタートすれば、 10 年後にはこの問に充分な信頼性をもって答えることができるであろう。」
つまり、上の 7 つの提案が実現し、観測体制が十分に整えば、地震予知は可能になるだろうと言っているわけだ。
ただし、流石にこの『ブループリント』自体は、この時には日の目を見ることがなかったようだ。
しかし、翌 1963 年 10 月 13 日、M8.1 の択捉島沖地震が発生する。
【 1963 年・択捉島沖地震】
・震央:択捉島沖
・地震の深さ: –
・地震の規模: M8.1
・最大震度: 4 (北海道 帯広市・浦河町など)
・津波: 最大 5 m
・死者: 0 人
2 年後、能登半島地震の項でも紹介した新潟地震が時代の流れを変えてしまう。
【 1964 年・新潟地震】
・震央:新潟県下越沖粟島南方沖 40km
・地震の深さ: 34 km
・地震の規模: M7.5
・最大震度: 5 (新潟県 新潟市・長岡市など)
・津波: 最大 6 m
・死者: 26 人
この新潟地震を契機に予知研究の必要性であるという機運が高まり、『ブループリント』が脚光を浴びる形になったようだ。
同年、当時の文部省測地学審議会(現在の科学技術・学術審議会)が「地震予知研究計画の実施について」という建議を政府に提出し、一躍、国家プロジェクトに昇格するに至るようだ。
翌 1965 年、国家プロジェクトとしての『地震予知研究計画・第 1 次計画』がスタートする。
そして、その年の 5 月 16 日、青森県東方沖(三陸はるか沖)で、M7.9 の十勝沖地震が発生する.
【 1965 年・十勝沖地震】
・震央:青森県東方沖(三陸はるか沖)
・地震の深さ: 16 km
・地震の規模: M7.9
・最大震度: 5 (北海道函館市など)
・津波: 最大 2.7 m
・死者、行方不明者: 52 人
この十勝沖地震が更に後押しする形となる。
『地震予知研究計画・第 1 次計画( 1965 ~ 1968 )』は、ブループリントで提案された地震予知研究を推進するための体制作りを目指すものであった。
以下がその内容だ。
- 測地的方法による地殻変動調査
( 1 )三角測量
( 2 )水準測量
( 3 )地磁気、重力測量 - 地殻変動検出のための験潮場の整備
- 地殻変動の連続観測
- 地震活動の調査
- 爆破地震による地震波速度の観測
- 活断層の調査
- 地磁気・地電流の調査
- 大学の講座、部門の増設等
- データ処理システムの確立
- 移動観測の整備
次回へ・・・。