「真実の口」2,123 能登半島地震 ⑧

前回の続き・・・。

今日で、能登半島地震が発生して 3 週間が経過する。

残念ながら、被害の全容は未だ見えてこない。

22 日 9 時時点で、死者 232 人(七尾市 5 人、輪島市 98 人、珠洲市 99 人、羽咋市 1 人、志賀町 2 人、穴水町 20 人、能登町 7 人 )、行方不明者 0 人となっている。

また、安否不明者は、 21 日 14 時時点で 22 人となっている。

石川県からは安否不明者の一覧表が公表されている

令和6年能登半島地震における安否不明者一覧表

殆どの方が、輪島市になっているので、火災に巻き込まれた方なのかもしれない。

また、石川県は、 15 日から、 ① DV 、ストーカー等被害や住民基本台帳の閲覧制限措置等がない者であること、 ② 氏名等の公表に家族等の同意があることを条件にお亡くなりになられた方の氏名等も公表している。

死因の殆どが家屋倒壊によるものである。

新年の家族団らんが一瞬で奪われてしまったのが想像に難くない・・・。

しかし、今回の地震は、何故、全容が見えにくいのだろうか?

能登半島の地図を見てみよう。

能登半島地図

これは、能登半島の観光マップである。

見てわかるように、半島をぐるりと回るように国道が走っている。

これらの道路が寸断した場合は、全ての情報が遮断されることになる。

歴史を紐解くと、能登半島西岸部の輪島市あたりは、江戸時代から明治時代初期にかけて海運業で栄えていた。

日本史で学んだ方もいるだろうが、当時は日本海を使って大阪と北海道を往復する北前船(きたまえぶね)が盛んで、北前船の船主は、大阪で米などを積んで北海道に運び、北海道からコンブやニシン油、ニシン肥料などを運んでいた。

半島という 3 方を海に囲まれている利点を生かし、輪島あたりは北前船の寄港地としてもにぎわっていた。

半島にとって主な交通路は海だったのである。

紀伊半島しかり、房総半島しかり、半島の持つ優位性で、以前は栄えていたのはうなずけるのではないだろうか?

ただ、現在のこれらの半島を見るとどうだろうか?

関西に住む私は新宮市や那智勝浦町出身の知人が多くいる。

彼らが地元を表現する際に使う言葉は「陸の孤島」である。

因みに、大阪駅から新宮市に行こうとすると・・・。

大阪~新宮市(公共交通機関)

実に、 4 時間 47 分かかるのである。

自動車を利用すると・・・。

大阪~新宮市(自動車①)

高速道路を使うと、随分迂回しなくてはいけないのが分かる。

これに要する時間と距離は・・・?

大阪~新宮市・所要時間①

次に、Yahoo!マップでお勧めのルートで行くと・・・。

大阪~新宮市(自動車②)

これに要する時間と距離は・・・?

大阪~新宮市・所要時間②

最後に、一般道で行くと・・・。

大阪~新宮市(自動車③)

これに要する時間と距離は・・・?

大阪~新宮市・所要時間③

海を使う交通が陸や空を使う交通に押されてすたれていくと、半島の優位性はなくなり、さびれていくのは想像に難くないと思う。

令和元年房総半島台風と銘打たれた千葉県を襲った台風のあと、房総半島を一周したが、同じような感覚を持ったのを覚えている

日本全体の人口減少が叫ばれて久しいが、それより一足早く半島地域の人口減少は始まり、今はそれが加速しているのである。

能登地域 4 市 5 町の人口は、この 10 年で 17% も減っているそうだ。

また、珠洲市や輪島市では高齢化率( 65 歳以上が人口に占める割合)が 50% 前後になっているようだ。

これは、石川県の県庁所在地である金沢市から輪島市や珠洲市まで車で 2 ~ 3 時間かかるという交通の不便さもネックになっているのだろう。

この半島の持つ特性により、孤立集落がアチコチに存在すると言うのも致し方ないのであろうか?

石川県は 21 日、能登半島地震による孤立集落の被災者について 14 人まで減少したと発表した。