8月14日。
盆中日である。
・・・と、53年間、当たり前に思ってきた。
しかし、テレビを見ていたら、地域によってどうも違うらしい。
どうやら、お盆には三つの時期が存在するらしいのだ。
明治以前は、旧暦の7月15日に当たる中元節の日に行われていたらしい。
明治に入り、新暦(太陽暦)が導入されたことで、以下の三つの時期におこなわれるようになったというのだ。
1.7月13日~15日
2.8月20日前後(旧盆)
3.8月13日~15日
私の田舎では、8月13日~15日がお盆だったので、これが当たり前と思っていた。。
ただ、五島(旧福江市)のお盆の話をすると、一様に驚かれる。
五島では、墓の周りに灯篭立てを立て、そこに提灯(家紋入り)をかけて、お盆の間の13日~15日は、夜間、親族総出で墓守をするのだ。
写真で見ると、こんな感じだ・・・。
この写真では、お墓の前面にしか、灯篭立てが立てられていないが、私が五島にいたころは、前後左右、4面全部に立てて、提灯を並べていた。
大体、この作業を男手で前日に行う。
ただ、これが一筋縄ではいかないのだ。
灯篭立ては写真で見られるように、基本、木製である。
しかし、盆以外は使われないので、盆から盆までの間は倉庫や納屋で眠っている。
海に囲まれた島で、その間、乾燥→湿潤→乾燥→湿潤が繰り返されるのだ。
そうなると、当然、反る木もあれば、返る木もある。
夏の熱いさなか、「あ~でもない。こ~でもない。」とブツブツ言いながら男衆で組み立てるのだ。
勿論、灯篭立てには、縦の木材には、前右、前左、後右、後左、そして、横の木材には、前上段、前中断、前下段等々と書いてあるのだが、そうは問屋が卸さないのが、自然の流れ・・・(笑)
そして、8月13日、暗くなる前に軽く腹ごしらえをして、玄関に一対の提灯を灯し、ゾロゾロと皆でお墓に向かうのである。
勿論、男衆には力仕事が待っている。
提灯を持っていかねばならない。
提灯も半端じゃないくらい持っていくので、持ち運び用の缶がある。
ブリキでできた茶筒の親玉みたいなものだ。
画像を探してみたが、見つからないので想像してほしい。
折畳んだ提灯が10数個ほど入るブリキの缶である。
高さは、1mを優に超えていたのではないだろうか・・・?
それを2~3缶、担いで持っていくのである。
ブリキというのにも理由がある。
毎日、持ち運びするのは大変なので、お盆の間は、お墓に置いて行くのである。
雨が降っても大丈夫だ・・・(笑)
そして、皆で、火を灯したロウソクを提灯に一つ一つさして、男衆で提灯をかけていくのである。
また、五島のお墓は、家によってマチマチである。
高さを競うかの如く、背の高いお墓が多い。
それによって、掛ける提灯の数も変わってくるわけだ。
私の母方のお墓は、3段ずつ提灯を掛けていた・・・。
計算してみると、前・後面が4×3×2=24個、左・右面が3×3×2=18個、合計42個である。
まあ、親族が年を重ねるにつれ、後面は外れ、3段が2段になり、最終的には前面のみと年々減っていっただのが・・・( ̄▽ ̄;)アハハ…
提灯はロウソクが消えると、新しいロウソクに変えていく。
そして、子供たちの楽しみは、墓守より、花火である。
そう、五島では、墓守の間、花火をして賑やかに先祖と過ごすのが普通なのだ。
しかも、その賑やかさは半端ではない・・・(。-∀-) ニヒ♪
前述したブリキ缶に爆竹の20連発を放り込むのである・・・!
ドンガラガッタ ♪ ドンガラガッタ ♫ ドンガラガッタ 🎶
更に、ロケット花火がアチコチから飛び交うのである・・・!!
ピューン ♪ ピューン ♫ ピューン 🎶
動画を探してみたのだが、こんなものしかなかったので参考までに・・・。
これの何百倍、何千倍の騒がしさである。
もちろんこんなもの物当たり前である。
そして、旧福江市にある〇〇寺では、8時半~9時くらいになると、住職達が鈴(れい)と錫杖を持って、回ってくるのである。
チ~ン・・・。
シャンシャン・・・。
チ~ン・・・。
シャンシャン・・・。
住職がお墓の前を通り過ぎる際、一礼をして、ようやく、提灯を片付け、帰途に就くのである。
勿論、燃え切らなかなかったロウソクも有効に使うのである。
後から帰る人が困らないように、暗くなった通路脇に、ロウソクを点々と間隔をあけて立てていくのである。
そして、五島人にとって欠かせないのが、県の無形民俗文化財に指定されている“チャンココ”である。
五島市を中心に伝わる古い念仏踊りで、語源は“チャン”が鉦(かね)の音、“ココ”は太鼓を叩く音であろうといわれている。
お盆に帰省しなくなって10年余り・・・。
久々に五島を思い出して綴ってみた。
皆は、どのようなお盆を過ごしているだろうか?